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描く手を「止める」勇気:「待つ」ことが開く、アーティストの「非世間的な時間軸」


「描く手を止めると不安になる」そんな経験、ありませんか? 20代で出会ったベケットと鉛筆画が教えてくれた、私の「非世間的な時間軸」。 作品を「熟成」「発酵」させる、人間だけの特別な「待つ」時間とは?  実は、その「待てない焦り」こそ、 AIには成し得ない、物質と時間、そして人間が織りなす「仕事」の奥深さなのかもしれません。
「何もしないということを、する」。

「待つ」こと:能動的観察と「何もしない」という行為


前回の記事で、私は作品を「寝かせ、熟成や発酵状態まで何もせずに置いておく」という「非世間的な時間軸」の重要性について触れました。この「待つ」という行為は、一見すると受動的で、何もしない状態に思えるかもしれません。しかし、私にとってこの「待つ」とは、「何もしないということをしている」、非常に能動的な行為そのものです。


もし、何かを動かすことを受動的と呼ぶのであれば、動かずにいること、すなわち静止していることもまた、能動的な行為であると言えるでしょう。それは、相手(素材)が動き出すのを注意深く観察し、その絶えず起こるわずかな「行為」を決して見逃さないよう、神経を集中させるということです。そこには、ただぼんやりと時間を過ごすのとは全く異なる、研ぎ澄まされた意識が存在します。まるで瞑想のように、あるいはスポーツの試合のように、五感を研ぎ澄まし、目の前で起こる微細な変化を捉えようと集中しているのです。この深い集中こそが、「待つ」ことの能動性の本質なのです。



物質との対話:制御できないフラストレーションが導く創造性


この「待つ」という能動的な観察の先には、「物質が自ら為す行為」という、創造におけるもう一つの重要な側面が見えてきます。


物質の自発的な行為を促し、それを作品に取り込むためには、作者である私自身の「意図」を過度に反映させないよう、細心の注意を払うことが重要だと考えています。自分の思い通りにコントロールしようとするのではなく、素材そのものが持つ声に耳を傾け、その性質が自然に表れるのを許容する姿勢が必要です。


そして、物質が自然の状態に近い素材であればあるほど、私たち人間が制御しきれない、予期せぬ、しかし豊かな「土壇場」を提供してくれるだろうと感じています。例えば、粘土の乾き方、絵の具の滲み方、紙の繊維の動き、木材の木目、石のひび割れなど、それらは物質本来の振る舞いであり、時には私たちの想像を超える美しさや力強さを示します。


今日の制作環境を考えると、CGや生成AIといったデジタルツールは、確かに驚くほどの「速さ」と「量産」を可能にします。しかし、これらのデジタルツールそのものは自然界が作り出したものではないため、物質特有の「手応え」や「感触」、そして「反発」や「拒絶」といった、いい意味での触感的ストレスがありません。人間が制御できないフラストレーションが溜まるような物質の抵抗こそが、私にとって創造の源泉となります。その抵抗を受け止め、自分の力を拮抗させながら作品を作り上げていくプロセスこそが、人間ならではの、そして物質と共に対話する、仕事だと考えます。



焦りの本質:作家の意図と素材のバランス


「待つ」行為は、時に瞑想的で精神性を伴う行為に見えます。しかし、実際は待てない。ことに焦るのです。 この「待てない」という焦りは、素材が自分の芸術的行為を受け止めていない場合や、そのバランスが崩れている場合に生じると私は感じています。


それは、作家の声(意図)が大きすぎて、素材を置いてきぼりにしている状態なのかもしれません。この焦りこそが、私たちに「本当に素材と対話できているか?」と問いかけ、その関係性を見つめ直す重要なきっかけを与えてくれるのです。

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