版画二人展を観に行って来ました。
- Megumi Karasawa
- 8月3日
- 読了時間: 3分

いつもブログを読んでくださって、本当にありがとうございます。
最近、ブログの内容がちょっと堅苦しくなってきたので、今回は久しぶりに、日常で感じたことを気ままに書いてみようと思います。
先日、数年前に銅版画を習っていた頃の仲間が、工房併設のギャラリーで二人展を開催するというので、ご案内をいただいて観に行ってきました。
ガラスの向こうに見えた、温かい光景
私が習っていた工房は、銅版画の制作スペースとは別に、ギャラリーが併設されています。こじんまりとしてますが、壁面がたくさんあって、作品は思った以上にたくさん展示できるんです。それに、通りに面して大きなガラス張りになってるので、道行く人もふらりと作品を観ていくことができる、開かれた空間です。
今回の二人展も、小さな版画作品から陶器、陶器のオブジェや置物、シート作品にブローチ、バッグまで、バラエティ豊かでとても充実していました。
ギャラリーの奥に行くと、工房の店主が作品を制作中でした。
80歳を超える店主の姿、私の後悔
店主はもう80歳を優に超えていると思います。私が工房に通っていた10年前から、ほとんどお姿が変わらないことに驚きました。この方が、私に銅版画のイロハを教えてくださいました。
実はこの日、工房で氏が作品を制作している姿を初めて見ました。
銅板にインクを練り込み、丁寧に布で拭き取っていく。その傍らには、刷り終えたばかりの、雁皮刷りで淡いブルーがかった風合いの作品がありました。氏は淡いブルーや淡いグリーンの雁皮刷りを好んでいたことを、ふと思い出しました。
私の年齢の倍近く長く生きていらっしゃる氏は、「歩くのもままならない」と仰っていましたが、それでも黙々と作品を作り続けるその姿が、本当に印象的でした。
「続ける」先に今がある
その姿を見て、ふと疑問が湧きました。
「止める方が簡単かもしれない」
「なぜ人は『し続ける』ことができるんだろう?そこには、どんな動機や責任があるんだろう?」
もちろん、何かを「止める」ことも「止めない」ことも、最終的に決めるのは自分自身だと思います。でも、それだけじゃない、もっと深い何かがある気がします。
私は、これまで氏が銅版画を制作している姿を一回も見たことがなかったと気付きました。いつもわたしたちが制作している場所で、わたしたちがいない時間帯に氏は黙々と制作をしていたんです。いつ自分の作品を作っているんだろうと疑問に思っていました。
「今見ているものは、今しか見ることができない」。
帰宅してからそのことに思い当たったとき、もう少しその場にいて氏の銅版画の仕事を間近で見て置けばよかったと後悔しました。
その瞬間、瞬間の仕事の気配を、もっと目に焼き付けておくべきだったな、と。
先日のグループ展で私が知り合った80代以上の皆さんは、本当にパワフルで、制作をし続けています。私も、彼らと同じ年齢になった時に、果たしてこうして制作を続けていられるだろうか?と問わずにはいられません。
しかし正直なところ、今はまだ目の前の課題を追うことに必死で、80歳になった時の自分を具体的に想像することはできません。それでも先を見させてくれる年配の方々の姿からは、本当に学ぶことがたくさんありました。
今回の銅版画工房の仲間の二人展と店主の姿は、私にとって、創作における「継続」の意味を深く考えさせられる、貴重な時間となりました。
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