『絵を描く時間があれば…』から変わった私:海外経験が拓いた表現の両輪
- Megumi Karasawa
- 3 日前
- 読了時間: 4分
更新日:2 日前
六月最後の週が始まりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか? ここ数日間、ブログに密度の濃い内容を書き続けています。自分としては今までにないくらい、文章と深く向き合う夜の時間を過ごしてきました。 去年の11月から毎日書いている記事も、これまでに書き溜めていた分を含めると、トータルで300本を超えました。
書く喜びが回す、作品と文章の「両輪」
その甲斐あってか、この度、展覧会に向けて会場で配布するパンフレットの制作やnoteの記事など、文章を書くのがまるで自然なことのように楽しくなってきています。
作品と文章の「両輪」が力強く回り始めたことで、苦手だった事務作業の中でも最も骨の折れる「テキスト作成」が、もはやそうでもなくなっていることに、私自身が感激しています。
アーティストにとって、自分の作品を語る言葉を持ち、それをテキストに置き換える技能は、見過ごされがちで、つい後回しになってしまうことでもあります。しかし、学術的なテキストを書くことではなく、ある程度自分の作品を人に伝える文章を書きたいと思うのなら、苦手でもトライすることが何よりも大切だと痛感しています。
もう一つ付け加えるなら、同じテーマを何度も書いてみることです。何度も書いているうちに、だんだんと深みが増し、より具体的になります。一度より二度、三度と書くうちにだんだんと面白さに出会えるのです。文章を一度で完成させようとするから、ハードルが高くなってしまったのだと今は思います。そんな試行錯誤の初期には、『この時間があれば、もっと絵を描けるのに』と、正直なところ、このブログ執筆が、すぐに作品の評価や販売に繋がるのか、確信が持てない時期もありました。

遠回りから見えた、日々の積み重ねと「内省」の価値
遠回りかもしれないと思いながらも、毎日ブログで文章を書き続けました。最初は一週間に、一回更新できればいいかと考えていました。省エネで文章力を身に付けたかったのです。毎日書かなくても、それなりの文章を書けるという自負があったのはわたしが読書好きで、書くこと自体は昔からすきだったからです。
しかし転機が訪れました。それは「ぽるとがる紀行いべりあ半島への扉#5」で海外でグループ展に出品した時のことです。自分の作品をテキストにして提出を求められたり、直接海外の方に自分の作品を説明するときに、言葉を持つ必要性を痛感したのです。
わたしはかねてより海外志向が強く、外に向けて作品を露出したいと強く望んでいます。
そのような経験を経て、それから、書いた文章を自分で添削するように、修正し、加筆し、整えることを始めました。
今日も書きたいテーマはあったし、伝えたい内容は山ほどあったけれど、残念ながら頭が働きません。文章をどう組み立てるかを考えると、エネルギー不足の今は、書けそうにありません。だからこそ、一旦立ち止まって、頭を休ませる記事を書いています。
こうしてつらつらと自分を労わりたくなるのは、ここまで本当によく書いてきたな、という内省をしたいからです。仕事から離れ外に出た時、さっきまでしていた作業を反芻していました。三つ折りのパンフレットのデザインとテキストを再現したとき、四年前の私がしたくても出来なかったことが出来ているんだと、自信がついたのです。自分の作品を語る言葉を持ちたかったのです。
このブログは静かにひっそりと存在しています。SNSのように賑やかなリアクションと「いいね」の数に振り回されずに書くことができるし、本当に読みたい人が読んでくれているはずです。だからこそ、このような親密な告白のような文章が書けるのだと、心からそう思います。

今日はこのくらいにして、明日のためにしっかり頭を休ませます。 このブログが、私にとって、そして読者の皆さんにとっても、日々の奮闘の合間にそっと立ち止まり、内省し、自分を労わる「余白の時間」となりますように。
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