再考:まなざしと差異
- Megumi Karasawa
- 1月20日
- 読了時間: 3分
更新日:1月21日
どうしても理解したい
木下佳通代の作品をどうしても理解したい
数日かけて作品が含有する牙城を小さく小さく切り崩しながら作品に近づく
理解したい作品は木下の1973年の写真作品<<Untitled/む38(花時計)>>である
「自我」「他我」「現象学」「他者」「主観」「類似」「視点」を鍵語に考えてみたい

再考:まなざしと差異
木下佳通代の1973年の作品<<Untitled/む38(花時計)>>は10組からなる写真作品である
木下の知人10人が神戸駅前の花時計を撮影した写真と同時刻に知人(撮影者)を背後から撮った写真を並べた2枚1セットの10組20点の作品である
知人が撮影する位置は同じであり花時計の写真はどれも差異はない
花時計の時刻に違いはあるが、時間が問題ではないことを提示するためだろうか
あえて時計を対象物に選んだのかもしれない
撮影者がだれであっても対象物(花時計)は同じ姿形で存在していること
花時計の写真は10人の撮影者によって撮られた写真であること
撮影者を撮影する写真が撮られていることがわかる
この作品を読み解くに必要なのはふたつ
2枚で1セットの組み写真にしていること、木下の場所(視座)である
木下は以前から「存在と存在しないものを等価する」ことをステートメントに作品を制作している
「見えるものと見えないものを等価する」と言い換えるとき存在を認識するには二つで一つであることを前提とする
<<Untitled/む38(花時計)>>は人間が対象物を見るときの状態を示している
ひとりの、わたしの視座を見る作品である
花時計を撮影する人を前面に置き、一歩下がった木下は知人の位置から対象物がどう見えるか予め知っているー想起的に経験している
というのは同時刻に同場所に居合わせ両者に共通の体験が存在しているからだ
両者は世界全体のうちに含まれている
言い換えると他者の視座としての外部、客観性を木下が内包しているのだ
それは他者がわたしのうちに含まれていることでもある
知人を前面に木下は下がり場を譲る
退いた木下は自らのうちに他者をおきながら対象物を見る
そのとき主であり神のまなざしのもとに自分の存在をさらすのだ
ひとりの、わたしの視座を見るまなざしがある。
「再考:まなざしと差異」を読んでくれてありがとうございます
「花時計」の作品を見れば見るほど知れば知る程、層が厚い
厚みをめくる作業にしがみつく
書いた文章を情け容赦なく編集する…理解できるまで問い学ぶ、書き直す
一連の執着を持ってしがみつく
何かが違うしこうじゃない、こう書きたいのではないけれどこうするない…
語彙・知見・発見が乏しいことを嘆いても先はない、書いて修正し書いて学ぶこと
今日おつかれさまでした、明日も素晴らしい発見がありますように
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