質の向上と3つのタイプ
- Megumi Karasawa
- 2月11日
- 読了時間: 4分
更新日:2月12日
質
必要なのは質の高い芸術作品をつくることで駄作をいくら作っても質は向上しないということだ
では質の高さを上げるためにはどうするかということについて考える
わたしの場合まず画材の選択がまずい
画材というのは支持体である紙と墨やアクリル絵の具、使用する道具全般が廉価なものであるということだ
よく選び抜かれた良質の紙、紙の質感に対する敏感な感覚こだわりはなく大量生産のクロッキー帳を使用している
本番と習作用構わずに用いるためだろうかチープさがつきまとい作品の質に影響を与えている
墨やアクリル絵の具に関しても画材店以外で購入するしネットで購入していてチューブから直接絞り出して使う
道具については数本の筆やコイル段ボールや厚紙という廃材やインク台や指を使う
素人・アマチュアの域を出ず手持ちの道具で精一杯描いている貧しい制作であるし、貧しさを理由にしているのかもしれない
質の高い作品とはどのようなものを想定しているかと言えば、普段目にする日常的な素材以外の質感を持った素材を手の痕跡が残らない仕上げをしてあるもののことを想定している
キャンバスに描く際はアクリル絵の具でも油絵具でもポスターカラーでもペンキでもスプレーでも、汚れやシミといった作業中の不手際や不注意によって現れるミスがなく、機械的な技巧的な修練の末にある仕上げを施してあるもの、それが絵具そのものを絞り出して物質感を残すものだとしても禁欲的にコントロールされたものである
人間の手仕事とは思えない仕上がりであったり、物質感を残すものだとしても作家によって制御されているとわかるものに質の高さを感じる
絵の仕上げの完璧さだけでなく、絵の内容や背景が現代を捉えたもので独自性があるもの衝撃や新しさを提示していることも重要である
作品を観たとき圧倒的なオーラを放ち作品が独立していること、こちらに感動を与え感激に心打たれる作品であることも重要である
そのとき作品がチープであることは問題外で誰が見ても内容と質の浅さを感じれば弾き飛ばされる
作品の質に関していえばわたしはほとんど盲目的であったのだ
量を描けば質は付いてくるものだとおもっていたし、質の高い作品に対するコンプレックスがあった
毎日描くドローイングに質の向上は見られない
それもそうだろう、質の向上を目的として描いていないからだ
目標を設定しなければ質は向上しない
質の高い作品を求める気持ちがなければ作品はガラクタ以下だ
露出する機会が少ないということもその一因だ
ただ描くだけでよいかというとそんなわけない、自分の欲求は何だ
「詩人には三つのタイプがある A.詩を変化させるために書く詩人 B.自己の趣味として、あるいは詩によって何かしら自己の感情を排出するために書く詩人 C.大衆、あるいは自分のグルウプの賞賛を得るために書く詩人」(詩の新しいヂェナレイションに」、『Highwayの噴水』一九四一年)。
戦後美術批評のなかの藤枝批評ーグリーンバーグと北園克衛 小西信之[藤枝晃雄『藤枝晃雄批評選集 モダニズム以後の芸術』東京書籍,二〇一七,p521]

上記に掲載した文章のうちわたしはBの領域にいて自分の感情を排出するために描いている
特にメンタルや感情や心情といった主観的な揺らぎに左右され、描くときも多くウェイトを占めている
このことが質に関わるかどうか言えば関わる
自分自身のことばかりにフォーカスすることと描かれたものの物質としての完成度は無視している
これでよいのだろうか
よいとおもうか
おもうのか
読書を通じて自分の限界を知ることがある
自分の限界を知りながらも尚、描き続けられるか
そこでやめてしまうこともできるからだ
わたしの描く多くが他者の眼に留まらずスルーする
人々は重要なことが描かれていないと判断するとしても自分は描くことを放棄しない、という判断と継続、自分の限界をわきまえる
こたえがでない、結論が書けない、ここまで
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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