メモ: まなざしと差異
- Megumi Karasawa
- 1月23日
- 読了時間: 3分
更新日:1月24日
木下佳通代の作品<<Untitled/む38(花時計)>>の関心が尽きない
某日、レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906 - 1995)について書かれた本を読みながら
ルネ・マグリット(René François Ghislain Magritte, 1898 -1967)の作品『複製禁止(エドワード・ジェームスの肖像)(La reproduction interdite, 1937』を掲載している箇所があった
章のタイトルは’他者とは誰か’
この作品は花時計のヒントになるかもしれない
作品理解への手助けがまたひとつ増えたようにおもえた
「再考:まなざしと差異」で<花時計>を以下のように書き表わした
<<Untitled/む38(花時計)>>は人間が対象物を見るときの状態を示している
ひとりの、わたしの視座を見る作品である
Megumi Karasawa 「再考:まなざしと差異」2024.1.20
他者とわたしは全体に含まれている。というとき、他者の視座としての外部、客観性を木下が内包していることである
なぜならこの作品で木下は友人の位置から見える風景を予め知ってして経験を共有しているからだ
マグリットの『複製禁止』は〈わたし〉が見えない部分を映しだす
背中である
わたしはわたしの背面を見ることができないが他者は見ることができる
木下は自分の背面を見ることができないがわたしの中の他者(=わたしの類似者)の背面をみることができる
まなざしによって見えないものを映し出した<花時計>と『複製絵画』は同線上にいるのか、いないのか
重要なのは木下の位置である
木下は友人の背後に退いたのは、他者が外界との境界に存在するからである
外界との接続が可能になるのだ
フランスの精神分析家ジャック・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan1901年-1981年)シェーマL(L図)では自分が他者との関係でつくられることを示している
自分が他者の視座を経て対象物を認識していることを作品は記録する
花時計の作品に現象学・他者論・シュールレアリスムの視点をもつヒントを得た
これらを交差させながらある一点に収斂し適切な批評を行いたい
作品が頭から離れない
「メモ:まなざしと差異」を読んでくれてありがとうございます
アートについて書くときアート関連の知識は勿論だけど、それ以外の分野で出会うアートの取り扱い方、アート作品の掲載が内輪だけでは得られない新しい解釈や見方を得る
そこで見つけた発見が発想を豊かにしてくれる
違う分野に眼を向けて知る
ひとつのことを突き詰めるだけでは得られない知がある
言い方が変わると解釈や理解が深まりますね
より多く、より広く。
というのは狭く細く求心的になりがちな視点を大胆にするためのスローガンとなった
それにしてもわたしは読むのが遅い、速読の方法でも身に付けようか…
文献にあたる、本を読む、読書の方向性が枝分かれする
この方向であっているかどうか
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい発見がありますように
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