ロスト・ペインティング
- Megumi Karasawa
- 2月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2月26日
霧に包まれる
ドゥルーズが前に挙げた『フランシス・ベーコン感覚の倫理学』の中でベーコンが「図表(ダイアグラム)」と呼ぶものについて分析している。※1
「偶然の痕跡を消すこと(痕跡ー線)、場所や帯域を洗浄し、一掃し、あるいは拭うこと(染みー色彩)、色んな角度、速度で絵具を投げつけること。」
すなわちダイアグラムとは「画布の上、具象的蓋然的前提を襲ったカタストロフィーのようなもの」なのだ。これらは「意味を無にする痕跡」だ。「画家は、カタストロフィーを通過し、カオスを抱擁し、そから出ようと試みる」※2
後藤繁雄『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』光村推古書店,2018,p.p165-164
引用した箇所はアブストラクト・ペインティングについて書かれた後藤繁雄氏の文章である
カタストロフィー(catastrophe)の語源はギリシャ語の「katastrophē(カタストロフェー)」で、「倒す」「転覆」「転倒」などの意味がある
表面につけた行為の痕跡や絵画の意味や内容を消し去りものごとは破局を迎える
その後に絵画はやって来る、ということだろうか
キャンバスに取り掛かる時カタストロフィーを迎える前にフィニッシュする絵画のまとまりの良さから離れ、一連の行為をした後ですべてを転覆し、その後で現れるだろう静謐な表面はどんなものだろうか
ジョゼ・サラマーゴ(José de Sousa Saramago1922-2010)の『白の闇』という小説を思い出している
謎の感染症「ミルク色の海」により都市の人々またたたく間に感染・失明する、未曾有の事態に社会秩序は崩壊し善意と悪意の狭間で人間の価値が試されるという小説だ
白い絵画を描き続けたロバート・ライマン(Robert Ryman 1930 - 2019)を思い出す
何を描くかでなくどのように描くかを追求したライマンだが、サラマーゴはどのように忘れていくかということを描こうとしたのではないだろうか
白という色が闇を連想させるなんてことをするとは逆転の発想だ
なぜなら闇と言えば黒・真っ暗闇をイメージするはずだ
白い色は神秘的で穢れない清廉な印象を与えるかわりに濃霧のように目の前を覆う時、恐怖や不安を掻き立てる、濃霧は記憶を忘れていく人間をイメージする
某日TVで特集していた「坂本龍一|音を視る 時を聴く」展(東京都現代美術館2024年12月21日(土)- 2025年3月30日(日))では濃霧に包まれる体験型の作品がある
以前に作ったそうだが今回の展示で新たに作り直した作品と伺った
タイトルは霧の彫刻《LIFE WELL TOKYO》
美術館の中庭に人工的に濃霧を作り出す機械があり、人が進むとうっすらと霧がかかりそのうち見事なまでに白い靄に包まれ何も見えなくなるのだ
ある時間を過ぎると濃霧は噴出をやめ何ごともなかったように元に戻っている
元に戻ったように見えても体験は身体と記憶に刻まれ一瞬のことに自分の存在が揺らぐのだ
この映像を見た時、闇は黒ではなく白いのだとサラマーゴの闇をビジュアル的に納得したのだった
キャンバスに現れるカタストロフィーは白い闇のように素地のキャンバスに帰着する
人間が誕生し成長し発達し成熟のピークを過ぎ少しずつ老いに向かって生を縮小するように歩み始める体力をピークを向かる段階とは別のスピードで衰え、身体のあらゆる部分は生理的老化による記憶の低下が始まる、或いは病的記憶障害によって記憶が失われていく、人間の一生の自然の有りよう
言葉が出ない、思い出せない、ぼんやりと霧に包まれるようなミルク色の海のような感覚が目の前を覆い、水蒸気の集積によって視界が霞む体験に収斂する絵画を模索する
わたしは徐々に失われていくさまを描こうとしている
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
よく晴れた風の冷たい火曜日
♦参考文献
※1 後藤繁雄『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』光村推古書店,2018,p.165
※2 後藤繁雄『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』光村推古書店,2018,p.p165-164
ジョゼ・サラマーゴ(José de Sousa Saramago)著 雨沢泰訳『白の闇』NHK出版,2001
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