映画『アートのお値段』を観て:現代アートの“値段”の裏側で、私たちが向き合うこと。
- Megumi Karasawa
- 8月13日
- 読了時間: 3分

仕事への取組みの姿勢に変化があったのは、『アートのお値段』というドキュメンタリー映画を観たからかもしれません。これまで自分とは接点のない遠い世界だと感じていたオークションでの現代アートとお金の関係が、赤裸々に描かれていました。
見終えてみると、もしかしたらこの世界は、私が思っていたほど優しいものではなく、切迫した時代を生きているのかもしれない、と思ったのです。
「まなざし」が織りなすアート市場の構造
映画が描くアート市場の構造は、様々な関係者の「まなざし」が複雑に絡み合っていることを示唆していました。ギャラリーやコレクター、評論家の「まなざし」は、単なる見方ではなく、時に権力的な視線(gaze of power)や、欲望の視線(gaze of desire)として機能します。
これは、私の個展のテーマである「まなざしと差異」に通じるものです。作品は、私という個人が描いたものでありながら、一度世に出れば、多様なまなざしに晒され、その関係性の中で、それぞれの「差異」を伴った意味を獲得していきます。
アート市場もまた、そのまなざしの集積と差異によって動いているのかもしれません。
そして、アートの「価値」は、単なる交換価値といった経済的側面だけでなく、象徴的価値や美的価値といった非経済的な側面によっても構成されることを、この映画は改めて私に問いかけました。
「遠い世界」
この映画を観て、「自分とは接点のない世界の出来事」だと感じていた気持ちが、「もしかしたらそうでもないかもしれない」という、身につまされる感覚になったのは、冒頭で書いた切迫感に重なります。
なぜなら、トップアイドル的なアーティストであろうと、地元で活動する私のようなアーティストであろうと、彼らを取り巻く環境は本質的に変わらないのではないか、という視点で映画を観たからです。
トップアーティストが関係する周囲の人間関係、例えばギャラリーのオーナーや影響力のあるコレクター、キュレーター、評論家など、彼らを取り巻く様々な「まなざし」が存在します。
映画の中で、ジョージ・コンドが「マーケットとお金は作品をつくることには関係のないことだ」と語っていたのが印象的です。この言葉が、規模の大小にかかわらず、すべてのアーティストが直面する課題であると理解しました。
だからこそ、外部の「まなざし」に流されず、常に自分の内的動機を問い直し、確認しながら絵を描き続けるというスタンスこそが、アーティストとして最も重要であると再認識したのです。
これは、私の「まなざし」と、そこから生まれる目の前の作品に丁寧に集中することを再度気付かせました。
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