展示空間を「編集」する:アーティスト主導型キュレーションの可能性
- Megumi Karasawa
- 7月25日
- 読了時間: 3分

「アーティストは作品を作ることが仕事だ」
――かつては、そう考えていました。
しかし、先日グループ展を終え、10月の個展に向けて準備を進める中で、この考えが少しずつ変わり始めています。
今日は、アーティストとしての私の葛藤と、その先に辿り着いた「キュレーション」という視点について、お話したいと思います。
アーティストがキュレーターになる意義について
キュレーターは、膨大な知識と客観的な視点から作品を評価し、文脈を与える専門家です。
その役割は非常に重要です。
しかし、キュレーターという専門職があるにもかかわらず、アーティストが自らキュレーションを行うことには、独自の意義があります。
それは、作品が生まれた背景にある「個人的な記憶」「無意識の衝動」「制作過程での試行錯誤」といった物語を、作家自身にしか知り得ないからです。
アーティストがキュレーターとして振る舞うことは、この物語を作品と空間、そして言葉を通して直接的に伝えることなのです。
この自己キュレーションは、外部の評価軸に左右されず、自分自身の哲学に基づいた「作品評価軸」を確立することにも繋がります。それは、市場のトレンドや他者の意見に流されず、自身の創作活動の核を揺るぎないものにするために不可欠なプロセスです。
「自己主張」ではない、客観性を持ったキュレーションのために
しかし、キュレーションがただの自己表現や自己主張に終わってしまうと、その本質は失われてしまいます。キュレーションは、作家の「声」を届ける行為でありながらも、鑑賞者との間に健全な対話を生むための、客観的な視点が不可欠です。
では、どうすればそのバランスを取ることができるのでしょうか。
「なぜこの作品を、今見せるのか?」を問い続ける
過去の作品を再編集する際、単に「好きな作品」を選ぶのではなく、「なぜこの作品が、今の私を語る上で重要なのか?」と問いかけます。この客観的な問いが、感情的な自己主張を抑え、作品群に一貫した意味と物語を与えます。
鑑賞者の「発見」を設計する
キュレーションは、作家の意図を一方的に伝えることではありません。作品の配置や空間の構成によって、鑑賞者が自分自身の解釈や発見を楽しむための余地を残します。作家のメッセージを軸にしつつも、鑑賞者が自由に思考できるような「間」をデザインすることが大切です。
「言葉」を自己理解のツールとして活用する
展示の解説文やブログの執筆は、作品の意図を明確にするだけでなく、作家自身の思考を客観的に整理するプロセスです。言葉にすることで、曖昧だった感情や思想が明確になり、自己陶酔に陥ることなく、作品の持つ本質をより深く理解できます。
個展は「自己キュレーション」の実践の場
キュレーションは、難しい専門用語を使うことではありません。それは、作品と深く向き合い、自分自身の言葉でその魅力を語ることです。そして今回の個展は、その自己キュレーションを形にする始めの一歩です。
まずは過去の作品を見直し、今回の個展で最も見せたいメッセージを聞き分け、頭の中でシュミレーションをしてみるところから始めてみます。
アーティストが自らキュレーターとなることで、作品はより深く、より説得力のあるものなると期待しています。私自身が現地点からもう一歩踏み出すための重要な視座となるはすです。
Comments