できないことなどなにもない
アトリエのイメージがわいて3日目
そこは「花束をつくる場所」にもしたい
どうやったら実現できるでしょうか?
20代の前半から半ばにかけてお花屋さんで働いていました、大学を出たてで働いたその時期は濃厚でまさに「修行」の日々、美術や芸術を志し学んだ仲間や出会った先生から受けた影響や価値観は見事に通じません、全く使いものにならない自分の姿勢と存在を思い知り「こんなはずじゃなかった」「なんでこんなに人格否定されるのか」と深刻になること毎日…店主はとても怖くて厳しい人、怒鳴られることもありビクビクしていました、怒られた内容が事実とは異なっていても反論できず身体中に不満を溜めました
時給は最賃以下、最初の仕事は主に定期の配達、庭のメンテナンス、リボンの作成、ラッピング紙のカット、胡蝶蘭のラッピング、アレンジメントのセットの準備、花の水揚げ、ポット苗の水やり、花束(スパイラル)の練習、プライスカード作り、値札付け、お店の整理整頓などの花屋の雑務的なことでした
その時期を過ぎると店に作り置きする花を束ねたり寄せ植えのバスケットを作りをさせてもらえました
仕事内容の切り替え(昇格?)のタイミングは謎でした
徐々に少しずつを繰り返しお花を束ねたりカッターで斜めに切ってアレンジすることに慣れていきました、勤めて半月か1年後にはフラワーアレンジメントの資格を取るために店休日の夜はスクールに通いました
花の資格があってもなくても勤めることはできますが、店主に基礎から学ぶ必要があると勧められたこともあり授業料は高かったけれど通って初級の資格を取得しました
「花屋」といえばイメージする仕事(花束を作ったりアレンジすること)ができるようになったのは勤めて5年経った頃だったと記憶しています
そのときはこれまで積み重ねた毎日が実を結んだと自信もついていました
花屋の仕事は体力が資本の肉体労働と忍耐の世界
いかに速く正確にキレイで整った完成品を作れるかという時間と勝負の職業でもあります
誰が見ても「心地いい」と感じるものを時間内につくりお待たせしない、それ以外は潔く捨てます
花屋として個人のセンスやオリジナリティを問われる場所はコンクールでした
花職に就いている人、フローリストとして独立している人、花の先生はそれらを求め基本的な技術や世界のトレンドなどを考慮して本人がいかに学んでいるかということを技と美で競い評価しました
お店に来る一般のお客さんはスタッフ独自のセンスやオリジナリティを求めてはいませんでした
それよりも好み通りにつくってくれ、信頼できる「お店」にファン(固定客)がついていました
お客さんはその人に高い技術や資格があってもなくても「キレイ」に整った完成品を求めてそれにお金を支払いました
退職して随分経つのに今だにお花の仕事をしたいとおもうのは、花屋時代の自分の感覚と動きがすきだからです
三千円でお見舞いのアレンジメントをピンク系でかわいらしくとか五千円で退職する方へ豪華な花束とかお客さんの注文を聞いてその場でつくるライブ感は花屋に勤める醍醐味です
どんな花を選んでどんな色を組み合わせてどんな完成形にするかを瞬時にイメージしささっと作る
手際よく数分以内で、それは洗練された動きでした
日頃から鍛えたたまものです、そのために個人的に一日一個以上は注文があってもなくてもアレンジメントを作るようにノルマを課し研究しコツを掴んでいきました
お花を持つと手が勝手に動き、一連の作業がスムーズに流れる自分を誇らしくおもいました
それまでいろんなアルバイトをしてきたけれど自分で自分を認められたのは花屋だけです
精神的にも肉体的にもキツイくて大変な出来事も多かったけれど、その時に経験して本当によかったとおもうことばかりです、仕事をする上で基本的な姿勢を学べたことは感謝してもしきれないです
いまでも花屋時代の夢を見るし充実した仕事をする自分を見つけます
花屋がほんとうにすきだったので自分のお店を持ちたいとお店の名前を考えたこともありました
電話注文を受けて「はいフラワーショップHorizonです」と言っている自分の姿も明確にイメージできました
「フラワーショップはHorizon」は妄想ではなく実際に存在します
わたしの頭の中にその花屋さんがあるのです
お花の絵を描いてそれをアレンジしたり束ね花束をつくることができます
現実的な制約は一切ありません、いつでもどこでも今からでもつくれます、わたしの叶えたい花屋さんは既に存在しているのです
「できないことなどなにもない」
そこから出発するとどんなこともかたちを変えて実現できます
自分がしなくては「存在」しないことをするのです
探して見つけたらもう実現したと同じことです、無から有をうんだのだから
フラワーショップ Horizon
フラワーショップHorizonは店主の独自のセンスで花束をつくる二次元のお花屋さんです
店主の自慢である空間に対する鋭敏な感覚を操り、隙間や間隔といった遠近、色彩感覚、配色によって感情の機微を表現し記憶に手が届くような感覚を感じる花束をつくります
店主は学生時代に彫刻を学び、ものとものの距離や角度、形に対して人一倍鋭い感覚を持っていました
空気の流れを読み被膜(ベール)を意識すると、創作物である花束やアレンジメントが魔法にかかったように空気をまとい三次元の姿となってあらわれます
塗り絵やポスターといった二次元の表現媒体とは異なり、「奥行きと空気を感じる抜けのある絵画」のようなお花となります
花の周りにある空気を彫刻するといっても過言ではありません
お花は生きて呼吸します、花がうまれ成長した姿を尊重し大切にした花束をつくります
書く中心にフォーカスする
毎日ブログを書くと決めて3日経ちました
「なにか」を閃いたら書こう、「○○について書こう」とすると滞りますね、そんな時はなかなか来ないしいつ来るかわからない、降ってくるものを予測することも予定通りにもいきません、こようがこまいが書く、書くことを続ける、内容以前に書くこと、書く時間を設けてそれをする、毎日書く、シンプルでいいじゃん充分だ、内容は二の次後から付いてくる、何を書くかで悩むより書かない時間は損失だ時間を決めて書いてみよ、となればどんどん溢れだす、「内容」なんかににこだわるな、お行儀良いのは要りません、そのまままるっと出してみる、つらつら出て来たものを乗せるだけ、簡単なことこんなこと、定着なんかいりませんふわっとここに置いてみる、ここにちょこっとだけでいい、そうだわたしの根本に書くことがすきという性がある、すきなことをやれるって、シンプルにうれしいやったじゃん、それを続けられる日が毎日毎日くるなんて、なんてステキなことじゃない?すきなことを続けるんならそれだけの悩みは放棄ただ書くよ、だってやりたいんでしょなぜしない?環境状況関係ない、それを編み出せつくりだせ、イイ感じだよその調子、どんどん進め考えない、考えないで考えない、書いてみるだけそれだけで、充分充分求めるな、どこかで聞こえる音楽と同じように流れよう、文字もどこからかうまれては流れる流れる流れでる、ペースが掴めないなんて大丈夫、そのうち掴める焦らずに、じっくりじっくり前進だ、今日も明日も明後日も、時間はたっぷりあるからさ、ゆっくり行こうよマイペース、掴もう掴もうマイペース、自動的に行間を、埋めてく練習練習だ、うまくなるしかない練習、いいもわるいもどうでもいい、内容なんてとくになし、書くこと続けてそれだけに、こだわり続けたその先になにがあるかみたいだけ、毎日毎日毎日がやって来ること期待して、書く書く書く書くただ書きたい、それを毎日したいだけ、毎日毎日書いたらさ、どんなどんな世界が見えるかな、どんな世界に行けるかな、好奇心✕好奇心掛け算したらどうなるか、それだけそれだけそれだけがエンジンなんだ、笑っちゃおう、迷うな、迷うな疑うな、花屋の修業時代から、一人前になるまでが、よい例毎日手動かして、お花に触れて束ねたりアレンジしたり続ければ、誰でもできるいっぱしに、花の魅力引き出せる、無駄ない動きができるよう、始めたばかりのときってさ、自分にできるかそんなこと?、って溜息つきつきつき凹むけど、かならず先輩を追い抜くし、必ず身に付く身をたすけ、自由自在に操るその技が、身に付くときはすぐそこだ、なにがなんでも手を止めない、続けろ続けろ運動を、身体に覚えてもらうまで、何度も何度も何度でも、ペースを掴み勢いが、ついたときのスピードに、振り落とされるなしっかりと、掴んだ手綱を放したら、書くの中心見つかるよ、だから書く、書く、書くんだ毎日、毎日書くことしがみつけ、書く書く書く書く毎日書く、しがみついてそのうちに、書くの中心届くから、この欲望に火を灯せ、量をこなせばコツ掴む、ただ書くことのみの毎日に、することにのみ集中しよう、そうしたら行ける中心、書く書く書く、書く欲望離すな自分に、引き寄せろ、時間はかかるが、それがいいそういうものだよ面白い、人の数だけ方法が、あるけど真理はひとつだけ、決してやめるな動くんだ、決して止めるな動くんだ
「無から有、存在させたら実現する」を読んでくれてありがとうございます
いま履いている「薄紫」のニューバランスのスニーカー
想い出を書いたら愛着が湧いて(色んな旅をしたからね)コインランドリーで洗って秋晴れの清々しい晴れの日に干しました
新入りがきたら入れ替えて破棄することを考えていたけれど止めました
ものには感情や主張がないとおもっていたけれど、先日ファスナーが壊れたペンケースを処分しようとゴミ箱に入れました、家族が見つけて「これ捨てちゃうの?」と拾い出しました「前からファスナーが壊れちゃったからもう捨てるよ、みてみてほら壊れてるでしょ?」とファスナーを動かしたらあらあら不思議直ってしまったのでした、どんなに動かしても直らなかったのにねこれにはビックリ!鶴の一声?がペンケースのいのちを救ったのです
直ったペンケースはすぐそこにあります、ほんとは気に入ってたから捨てたくなかったんです
ものにもなにかが宿っている
ささいなことだけど、こういう奇跡に立ち会えるときって、その先にいいことが待っていることが多いのです、自分のままで大丈夫、だいじょうぶ
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