アトリエをイメージする
自宅から出て仕事部屋を持ちたいと動き出しました
仕事部屋といってもこうやって使ってみたいのです
絵を描く場所、文章を書く場所、彫刻を彫る場所、詩集やエッセイ児童文学を執筆する場所、ラジオを放送する場所、トークショーをする場所、花束をつくる場所、グルテンフリーやビーガンスイーツをつくる場所
定期的に作品を観にくる人、文章を朗読する人、彫刻を設置する人、ラジオに出演する人、トークショーを聞いたり話しをする人、花束を注文する人、スイーツのレシピを交換する人
アトリエは風通しよい気持ちいい空間でそんな状態を保ちながら仕事をしてみたい
センスを持ち込まないで無個性で人を迎える空間にしたい…既存のホワイトキューブのようにはしたくない
いつでも新品のような清潔な空間にしたい…生活の匂いのするものを置きたくない
移動
展覧会をして観に来てくれる方にいつもおもうのは「遠くまで来てくれてありがとう」ということです
わたしは出不精で外出するときは重い腰を上げて~とか気合入れて~とか朝起きた勢いで~といったちょっと憂鬱な心理状態で出掛けることが多いです
移動時間がもったいないと以前は本を読んだりスマホを何度も確認したりと頭の中に詰め込んでいました
けれど年代によるのか一時的なものなのか疲れからかぼーっと座って、ぼーっと立っているだけが楽になってきました
移動時間がもったいないと思って敢えて「何もしない」「入れなく」なりました
いつでも脳はあれこれとせわしく動いて環境や状況、天候や感情や気分に左右されるのでせめて移動の時間だけは「やすむ」に充てよう、むしろそこにしか「やすむ」がないのかもしれない
人からは「なにもしない」と見られても「やすむ」ことを積極的にしているので、なにもしないわけではないのです
これって絵もそう?
「何もしない」「入れない」をしないとしないのです
つまりしないとしてしてしまう、それはわたしにとって心身に負担をかけることだったんです
何かしようと詰め込む…作者の切羽詰まった思い込みや脅迫観念から来ていることが多いということ
しなくちゃいけないと脳が勝手に動いてしまうということがあるとおもうんですよね
だから動いているときは「動かない」ことができない、動いちゃうんです
動かないというのは「止める」というひとつのアクションです
心身のバランスを取ることと同じで絵のバランスを取ることになります
一端スイッチを切る時間が絵を描く最中にあります
というよりスイッチを切るために使う時間をどこに設けるかということです
絵を描く時間が乗り物で移動している状態と仮定するなら、移動時間は体の動き、脳の働きとめて「やすませ」る、楽になる、あらゆることに左右されない状態をつくるということなのかもしれません
そこにモチーフや意識、意志やメッセージはありません、そういうものから離れることが絵を描くという「移動」なのです
アトリエをイメージする2
脱線しました💦アトリエに関してですが絵を見に来る人は移動や外出がすきなひとばかりではないはずです
自分の拠点を持てたら自転車や徒歩で、電車だとしても往復30分で行けたら出掛けなきゃいけないという苦痛は軽減されるかな…すきな人は来るし興味ない人は来ないから移動の問題だけではないとはわかっています
作品を観てもらう会を開くために何にお金を払い、何に使われるのか、どこに流れて、誰が増えて何が減るのかということをみてるのです
宣伝は必要ないしのぼりも必要ないしDMはがきも必要ないしSNSも必要ない、そんな作品の見せかたがあるはずでしてきたはずです
作品という名称すらどうでもいいような、、そんなフラットなことなのになぜむなしさを伴うことになってしまったのか、自分の意識がその方向に向かってしまったのがわからないしかなしい
絵は承認欲求を満たすものではない
そうおもう人がいてそうおもっている人の言うことにとんでもない安らぎと救いを感じるし、希少な仲間がいたんだという喜びがあります、なにかに光りが灯るようです、だからわたしはこの記事を書けています
人それぞれの「芸術」があってそれに基づいて仕事をしています
わたしは違う方法で違うやり方で自分を生きる
「動いているときは動かさない」を読んでくれてありがとうございます
いつも読んでくれてありがとうございます
自分の場所が必要だとおもうけれどない方がいいのか…場所を持つと経営や管理が必要になってそれが途端につまらない窮屈な思考回路をうむことになります
抽象に向かって現実を具体化するということ実験のはじまりです
今後はブログの充実に充てていきますのでSNSはしばらく休止状態になります、ご了承ください
ブログをどうぞよろしくお願いします
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