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紫陽花とゴッホ

紫陽花


朝からしとしとと小さく細かい雨が降っている

前日までの体の怠さと微熱、冷えからくる悪寒が去ったにも関わらず、身体は痛みを引きずっている

このまま心まで引きずられないようにと天気を無視して、前日直観で決めたスケジュールを実行することにした

レインブーツを履いて近くの図書館までウォーキング兼ねて出掛けるのだ

雨の中、敢えて外に出掛けるのは身体を動かして運を動かしたかったからだ

運動は運を動かす。と書く、それを知った日からこの言葉のもつ力に噓はないと確信している

雨粒の中、濡れてもいい靴でがっしがっしと歩くのは雨とともに滞るものを振るい落とすからだ


道すがらお地蔵さまがあるのだが、ふと見ると色付きかけた紫陽花が二本、花入れに活けてある

薄い水色の花は、今さっき誰かの庭先で咲いていたような瑞々しさを放っていた

柔らかそうな花全体が、そっと活けた人の、控え目な姿を想像させて、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなったのだ

そういえばそのお地蔵様に花が活けられているところを見たのは、初めてだった

たかだが十五分のウォーキング

日々は同じような姿をしているが、その細部は毎日変化している

その小さな変化に気付ける自分が、控え目に言っても見違えるようにうれしいのだった


日々は同じような姿をしているが、その細部は毎日変化している
日々は同じような姿をしているが、その細部は毎日変化している

イエロー


ゴッホに関する本を読み終えた

導入から著者の誠実な文体と、彼女の導き出したゴッホ像と、彼女自身に親近感を持ち逸る気持ちを抑えきれず一気に読んでしまった

ゴッホの作品も一般的に広く流通している経歴も知っていたが、きちんと一冊の本を読んだことはなくこの本が始めてだった


バーナデッド・マーフィー著 山田美明訳『ゴッホの耳ー天才画家最大の謎ー』


肩書きが重視される分野で、著者はゼロから本格的な調査を始めた

膨大な資料を集め実に七年の歳月をかけて至極丹念な精査を経て出版した本だということに、わたしは深く心を揺さぶられた

ゴッホがアルルで暮らしていた当時の住民や関係者一万五千人以上の人物のデータベースを作成したというだけでも、すでに魅力的で、その並外れた情熱と努力、そして忍耐には心底尊敬の念を抱いた


肝心の本の内容は、これまでわたしたちが「ゴッホ」と聞いて抱いたイメージを、まるで画家本人から引きはがすように覆し、現代の感覚で鮮やかに捉え直しているところに、強く興味をそそられた

世界的に権威ある研究者や、専門家や芸術関係者ではない、わたしたちに近い存在の彼女だから、説得力が増し、余計な先入観なしに素直に読めたのだった


ゴッホその人の肉体的な痛みや苦しみと、精神的な孤独や遺伝的な病気を抱えながら生きる姿と、周囲の人間の言動には、どちらの言い分にも共感する箇所があり、痛いほどに身につまらせた

それは現代にも通用する、あまりに身近な問題としてわたしに迫り、深く心をえぐった


つい最近四カ月ぶりに学生時代の友人たちとランチをしたとき、わたしはキーワードのように「ゴッホ」という単語を引き合いに出した

その瞬間から、まるで見えない糸に導かれるように、この画家の本を手に取るまで伏線だったかのようだ

これは偶然なのだろうか、今の言葉で言えばセレンディピティと呼ぶべきものかもしれない

なぜか今ゴッホを読みたくて、読んだらこんな人だとは思わずその人の知らなかった生身の人間像に出会い、思いがけず動揺している


ブログで何度か書いているとおり、わたしはどこかが優れない日の方が圧倒的に多く、身体の不調が自己否定を加速させるように心に影響するのが常だ

精神的危機という差し迫った事態には至っていないが、小さなでこぼこ道をずっと歩いているような不安定さがつきまとう日々

そんな自分とゴッホの姿を重ねてしまい、読んでいて図らずも涙が出そうになるくらい胸に詰まるものがあった


わたしも絵を描く者として、描く作品は人に希望を与えるものでなきゃいけない、人を感動させなくてはならない、力が湧いて勇気付けるものでなければいけないのではないか、という疑問を持ちながらそれを気にしている

自分が絵に希望を見いだせず、不調を抱えているのだ

そんな人の絵なんて見たいとおもうだろうか…と相手の反応まで透かして見てしまう自分がいる


そう言いながらわたしはゴッホがどんな人かは置いておき、ゴッホ作品は別物と切り離してみることができる

それは歴史上の人物だからだろうか

もし彼が身近な人物(例えば同業者や知人や友人)だったとしたら、はたして作家と作品を切り離して観れるだろうか

その問いは絵を描く者として、そして一人の人間として、私自身の存在意義にまで問いかけるような、重い響きを持っている


そして『ゴッホの耳ー天才画家最大の謎ー』から受け取ったメッセージの最も深く、辛さを伴う程に印象に残ったひとつは「それが人間」ということだった



人が自分自身を生きるならば、交わらない一線、閾値が存在する。Megumi Karasawa |Karasawa Megumi Japanese contemporary artist
人が自分自身を生きるならば、交わらない一線、閾値が存在する

帰り道


図書館からの帰り道、しとしと降っていた雨粒が少し大きくなったようだ

ゴッホに関する本を追加で二冊借りた

書く人によって異なるゴッホ像が見られると思うと次はどんな姿をしているのだろうとワクワクしている

歩きながら先ほどのお地蔵様の前まで来て、目を疑った

つい二時間前には活けられた紫陽花の花は、花入れから無残にも抜き取られ、近くに捨てられていたのだ

二時間前に温かい気持になったばかりだったのに、予想外の光景に呆気にとられてしまった


花を活ける人もいれば、あっという間に抜き取る人もいる

傘を差す人もいれば、雨に濡れるまま歩く人もいる

石を積み上げる人もいれば、積み上げた石を無慈悲に元に戻す人もいる

人の行いは理解しがたくも、寛容さと理解にも溢れている


ゴッホの本を読んで、当時の人々の彼への反応や関係者や友人や知人の言動から、やるせないほどの孤独や孤立を感じることがあった、それと同じほど愛され、救いの手が差し伸べられていた


人が自分自身を生きるならば、交わらない一線、閾値が存在する


だからこそ目の前の紫陽花の花をみて、理解や無理解、善悪や一致・不一致など、すべての人間的な配慮はひっくるめて「それが人間」なのだと、眼を細めるしかないのだった




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