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自分という自然

更新日:6月6日

自分につくるお弁当


お昼に自分用にお弁当をつくることにした

朝食と一緒に手早く弁当箱に詰める

つくりおきしたおかずを二~三種類、おにぎりを二個

始めて二日目、なかなか楽しい

お弁当のレシピブックやつくりおきレシピを参考に新しい組合わせに心が躍る

できれば公園の日陰や緑を見ながら外で食べたいけれど、陽ざしが強くなり暑さを感じて

実現できていない

天気と相談しながら、外でお弁当を食べる日を待ち望む


自分という自然


レオナルド・ダ・ヴィンチについて書かれた本(二〇一六年)と

ルドンの手記『私自身に』を併読している

二人の偉大な芸術家に共通することをがあるとすれば、自分の特性を知り能力の方向性を守りながら仕事をしたということだろう

レオナルドの性格や性質は広く知られているように、ひとつのことに集中すると一日中朝から晩まで食事を抜きで驚異的にのめり込む、かと思えば突然熱が冷めたように筆を握らないこともあった

あらゆる方向に興味が移り、仕事が断続的になるか途絶えることもしばしばだった

注文品の期限を守れないことも、下描きのまま完成しなかった作品もある

彼の興味の矛先のまま忠実に没我的に進むのだが、それは誰にも予想ができないスケジュールで取り行われるのだった

ルドンは『私自身に』でこう書いている


私がもっぱら力を注いだのは自分の能力の方向を守ることでした。 オディロン・ルドン著 渡辺一郎訳『ルドン 私自身に』みすず書房,2024,P23

レオナルドとルドン

二人の芸術家の本は「自然であること」に目を向けなさい。と言っている気がした

自然というのは例えば季節

季節が変われば衣服を着替え、旬の野菜や果物が育ち、暮らしが変化する

それに合わせて身体のリズムも変わるし体内の血や気の巡りも違う、それを当たり前のように需要するのに、自分の自分の体や心や気持ちの変化は忌避する

自分という自然を平均に均したり、ニュートラルな状態を強いたり、感情を殺すのは不自然ではなかろうか…そうおもえてくる

気分と感情のムラがあるのは自然なこと

逆に同じ状態を求めることは自分を苦しめるのではないか、いや苦しめていた


自分の能力の方向性を守る。


琴線に触れる言葉

今日もおつかれさまでした

明日も安全で素晴らしい日になりますように


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