美術館に出掛ける
- Megumi Karasawa
- 4 日前
- 読了時間: 5分
更新日:3 日前
東京都現代美術館「坂本龍一|音を視る 時を聴く」展
東京都現代美術館で開催中の「坂本龍一|音を視る 時を聴く」展に行ってきた
坂本龍一は1952年東京都に生まれ1978年にYMOを結成し79年に海外公演を行った
80年代から90年代は映画音楽を中心に国内外で活動し2000年代に入ると地雷や同時多発テロ、震災による復興支援プロジェクトなど自然環境問題や社会問題に積極的にコミットメントしアートと音楽を視覚メディアによってアーティストと協同で多くの作品を発表した
2023年71歳でこの世を去るまで国内外の都市で多くの作家、芸術家、哲学者、音楽家と共に精力的に活動した
最終日開館45分前に到着するとすでに長蛇の列、並んでいる人の数に圧倒された
入場までの間、列はと切れずピークを迎えた
チケットを購入した後も40分待ち、ただただ流れのままに進んだ
人酔いしてくる
会場に入ると中は映画館のように真っ暗で大きなモニターに迫力ある映像と大きな音
どの展示室も満員で人々の頭の先にある辛うじて見えるモニターからチカチカした文字の羅列や自然界の音が聴こえた
老人が朗読する声が非日常空間にいることを印象付けた
作品《async-immersion tokyo》2024は高谷史郎と協同で制作した作品である
音楽を空間に立体的に設置する「設置音楽」のコンセプトに沿いアルバム『async』の楽曲を使った大型インスタレーションである
次々に切り替わる映像が流れる中でたまたまわたしが観た時は灰色の波の映像だった
波の波動が次第に無数の細い横線に変換され静止画となる場面では、波の音に加え坂本氏の音楽も寄り添う
氏の音楽と寂しさ漂う灰色の波の映像のマッチングに小さな女の子は
ママがいなくなっちゃうような音
と言い表し母親の手をぎゅっと握った
少女に根源的な不在を認識させる胸騒ぎと愛情の切断を呼び覚ます音楽だった
野外に人気の高かった作品がある
《LIFE-WELL TOKYO 霧の彫刻#4762》2024
1970年大阪万博ペプシ館で「霧の彫刻」を初めて制作した中谷芙二子と高谷史郎と坂本氏のコラボレーション作品だ
美術館地下2階野外スペースを霧で満たし命の水をたたえたという作品
会場脇に設置した装置から濃い霧が発生する
霧はランダムに数回噴射しぶつかり合い対流を生み出しながら天へ舞う
その動きをカメラが捉え坂本氏による音へと瞬時に変換される
微かに高い音域の音のようなものが聴こえたような気がした
また階上に設置された鏡が太陽の動きを追いながらその光を霧の中に導き霧と光と音が一体となる
その日の気象状況の変化によって状態の変わる作品であった
白く曇った霧の中にいたら徐々に呼吸も困難になってしまった
霧が酸素を奪ったか、息苦しさに不安が増し恐怖を覚える瞬間が何度かあった
音と光の幽玄さより視界を奪われ身体が拘束されたような状況にわたしの存在が不安定になった
立ち尽くしてしまったことに、怯えた
濃霧に身を固め閉所恐怖症のようにただただ怯えるしかなかった
1枚の絵も1枚のドローイングも展示していない展覧会
VR体験のように五感をフルに活動させ鑑賞する作品の数々は多くの人に訴えかけることに成功した
来場者は20代から40代が多いように見えた
現代アートの盛況ぶりを見るとアートの間口は広がったのを実感する
アートの間口といっても現代アートの需要が供給に追いついたのだろう
20年以上前とは明らかに違う
坂本龍一氏の圧倒的なカリスマ性と品格とインテリジェンスは人々を魅了する
わたしが何者であってもこの展覧会に来たというだけで自分が底上げされたようなブランド力がある
展覧会は一流の映像と高い技術によって作られたものでありどこにも隙がない
手の届かない高水準の技術によって作られ、手の仕事を排し無駄なき簡潔さで迫る
現代に生きる人間が希求するアートの方向性を肌で体感した展覧会だった
参考文献
展覧会図録「坂本龍一 音を視る 時を聴く2024-2025 」
2024年12月21日(土)~ 2025年3月30日()
東京都現代美術館
開館時間10:00ー18:00
観覧料:一般2,400円

「美術館に出掛ける」を読んでくれてありがとうございます
事前に電話で確認したところ当日券は販売しているけれど、時間によっては完売することもあるということだった
既にオンラインチケットは売り切れだったのだ
こんなに混んでいるとは思いもしなかったが朝早く出て正解だった
会場を出たときも外の列は続いていたし入場まではさらに時間がかかっていただろうとおもう
現代アートの展覧会を2カ月連続で鑑賞した
実は2月、毛利悠子《ピュシスについて》アーティゾン美術館を鑑賞したのだ
坂本氏のような体験型で方向性は同じところを向いていた
会場の壁は取り払われ大きなワンフロアに多数の装置のような作品が置かれたいた
どこからともなくノイズのような不規則な音が微かに、時には大胆に聞こえるた
音響にもこだわっているとのことだった、スピーカーから純度の高い音がクリアに会場を満たしていた
この時から感じたのは視ることではなく聴くこと、耳を澄ませることが現代アートの方向性なのではないかということだった
というのも毛利氏は図録で敢えて言及してはいなかったが興味深い示唆としてエマニュエル・レヴィナスの「存在するとは別の仕方で」を想定内に入れいると確信した
レヴィナスも視ることよりも聴くこと、聴覚との結びつきを説いている
坂本氏は音楽家として聴覚からアートに入っていったのだろう音に対して視覚を結びつける
音は束ねず合せず整理整頓せずできるだけ生の感覚に近い音になるように実は厳密にコントロールしているということがわかる
視覚にフォーカスした美術鑑賞から視覚以外の感覚にフォーカスする鑑賞
最先端の現代アートはわたしたちが普段からよく使うようになった体の器官に訴えている
今日もおつかれさまでした
ブログを読んでくれてありがとうございます
明日から新しい週が始まります、素晴らしい1週間にになりますように
Comentarios