Visage(顔)
- Megumi Karasawa
- 4月20日
- 読了時間: 3分
ポートレート
夏の展覧会では六日間、似顔絵描きする
そのために数年振りに人物クロッキーを始めた
人物を見て短時間で写実的に描くクロッキーと感情に訴える作者の痕跡が残るドローイング
両者の違いについては以前ブログで書いたことがある(→「クロッキー事始め」参照)
実際、会場でクロッキー的に描くか、ドローイングするか決めかねている
そのうち方向が決まるだろう、いまは限定せずいろいろ試してみたい
先日読んだ本でクロッキー(デッサン)とドローイングの違いを分かりやすく説明している箇所があったので参考までに下記に記しておく
「デッサン」は石膏デッサンで知られるように対象物を明暗法を用いて写真的に表現するもの。時間をかけて緻密に描かれます。「ドローイング」はより自由で対象物から感じた自分の心模様を描き出し即興的なものが多くあります。山中俊之『「アート」を知ると「世界」が読める』幻冬舎新書、2024、p.p192-193
ドローイングは現在ではそれ自体が作品と考えられている
心の動きやパッションを直接的に表出し自在な発想と自由なスタイルで描くもの
従ってペインティング制作の下絵・下書きという意味合いは薄くなっている
クロッキーとドローイングでは当然ながら出来上がりは異なる
ピカソが描いた木炭や鉛筆を使って緻密に写実的なポートレートとキュビズムで描いたポートレートを比較してみると同じ人物を描いたとは思えないほどその印象は異なる
作品としてのインパクトの強さ、ダイレクトに伝わる感動、摩訶不思議な魅力に目が離せない
惹きつけられる
描くとき、どの技法を用いるかで絵そのものが全く異なる
人物の新たな一面を引き出すにはダイナミックな変化を起こすほうが面白い
リスキーだが面白い
ブログで何度かポートレートについて書いてきた
生身の人間を目の前にして即興で描くことへの不安と自信の無さ
経験の乏しさをカバーするようにまたクロッキーを始めた
自分の絵に対する不安を拭う方法を探しているのかもしれない
自信もない、経験も乏しい
自信もない、経験も乏しい
けれどやると決めた時、反復練習や鬼のような訓練で自信を付けるというやり方がある
量と時間はメンタルを鍛え自信をもたらす
メンタルが鍛えられ自信をつけるが、絵を描くことは練習や訓練という枠組みから解放したい
うまく描くこと。
それが目的となると描いていてもつまらない
練習の成果を発揮するために描くなら面白くはならない
絵を描くのはもっと別のところ、別の発想から出発したい
新しい絵を描くには自信もなく、新たな経験は乏しいほうがチャンスとおもう
絵を鍛えるために練習するとパターンに陥り、新鮮さが失せる
一枚目より二十枚目の絵が面白くないのは日課のドローイングで証明済みだ
描けば描くほど、欠けるものがある
わたしがぜひ練習して身に付けたいのは、いかに練習しないか、ということである
練習してうまくなる。という発想は運動では必要だけれど、絵はそういうものではない
今日もおつかれさまでした
明日も素晴らしい日になりますように
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