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ジョアン・ミロの「焼かれたカンヴァス」から学ぶ:「深追いしない」という能動的な創造

ミロの晩年作から見えた、技術を超えた「作家の精神性」。  現代アートが求める「速さ」に背を向け、わたしが探求するのは、「深追いしない」という能動的な創造哲学です。  「待てない焦り」から生まれた「積極的な諦め」が、アーティストの成熟と作品の奥行きにどう繋がるのか。
技術や形式を超えた「作家の精神性」が宿る作品とは?

ジョアン・ミロの晩年の傑作「焼かれたカンヴァス」に、あなたは一体何を感じますか? そこには、技術や形式を超えた「作家の精神性」が宿っていました。


現代アートにおいて「速さ」と「量産」が求められる一方で、私が探求するのは、その対極にある「深追いしない」という、極めて能動的な創造の哲学です。前回の記事で深く言及した「待てない焦り」は、この哲学が生まれる重要なきっかけとなりました。


実は、その「待てない焦り」の核心には、「作家の声(意図)が大きすぎて、素材を置き去りにしている状態」があると考察しました。この焦りが生じた時、私たちは往々にして、その感情を打ち消そうと「もっと手を動かす」「もっとコントロールしようとする」誘惑に駆られます。しかし、それでは素材との対話はさらに失われ、作品は息苦しいものになってしまいかねません。


このような状況でこそ、私が重要だと考えるのが「深追いしない」という姿勢です。これは、単に手を止めて「待つ」ことの受動的な延長線上にあるものではありません。むしろ、能動的かつ主体的な「引き算」であり、作家が作品や素材に対して「手放す」勇気を持つ行為そのものだと考えています。この「積極的な諦め」が、いかにアーティストの内なる成熟を促し、作品に測り知れない奥行きをもたらすのかを、具体的な思考プロセスと共に解き明かします。



「積極的な諦め」が促す、次への循環


「深追いしない」とは、具体的にどのような行為を指すのでしょうか。

それは、作品や素材に対し、自分の意図やコントロールを無理に押し付けようとするのをやめること。例えば、特定の色を何度も塗り重ねたり、細部を完璧にしようと執着したりするのを意識的に中断する決断です。時には、全てを完成させようとせず、あえて余白を残したり、未完の状態を許容したりする勇気も必要です。この「未完」や「不完全さ」を受け入れることは、素材が「呼吸する」ための空間を与え、後から素材が自ら「語り出す」ためのスペースを作ることでもあります。


また、物理的に作品から一歩引いて、距離を取ることも「深追いしない」の一環です。作品を裏返したり、離れた場所から眺めたり、鏡に映してみたりすることで、これまで見えなかった素材の「声」や、作品が持つ本来の方向性が見えてくることがあります。これは物理的な距離だけでなく、心理的な距離を取ることを含みます。


その中で心理的な距離を重要視します。以前ほど忍耐と集中ができなくなってきたと感じることがあります。自分の限界と結果が薄々解ってしまう。結果が目に見えてしまう状態です。そのとき「積極的な諦め」を採用し、自分を使い果たしてしまわないようにしているのです。というのは、次をつくることで、今の状態を受け入れつつ手放し、循環することにします。止まらないようにサイクルを形成するのです。



「深追いしない」が素材との対話を再構築するメカニズム


なぜ「深追いしない」姿勢が、一度失われた素材との対話を再構築するのでしょうか。

第一に、作家が手を止め、素材に「任せる」ことは、素材そのものが持つ性質や潜在的な力への深い信頼の表明です。この信頼こそが、素材が持つ「自ら為す行為」を促し、作品を真に有機的なものへと導きます。

第二に、「作家の声が大きすぎる」状態は、作家のエゴやコントロール欲求が前面に出ている状態です。「深追いしない」という選択は、このエゴを一旦脇に置き、素材が持つ「自然な流れ」に身を任せる謙虚な姿勢を育みます。


人間が全てを制御しようとするのをやめると、予期せぬ化学反応や、素材が持つ本来の美しさが顕れる「偶然性」の入り込む余地が生まれます。これこそが、計画された意図を超えた、真の創造的な発見に繋がることがあります。ジョアン・ミロが晩年に果敢に挑んだ「焼かれたカンヴァス」のように、素材への極限の介入の先に、作家の意図を超えた物質の「行為」が際立つパラドックスは、この深淵な対話の極致と言えるでしょう。


ミロの晩年作から見えた、技術を超えた「作家の精神性」。  現代アートが求める「速さ」に背を向け、わたしが探求するのは、「深追いしない」という能動的な創造哲学です。  「待てない焦り」から生まれた「積極的な諦め」が、アーティストの成熟と作品の奥行きにどう繋がるのか。
循環すること。止まらないようにサイクルを形成する。

創造における「間」と手放して次に進む


「待てない焦り」は、私たちに「立ち止まること」を促すサインであると同時に、作品と自己、そして素材との関係性を根本的に見つめ直す、重要な「きっかけ」です。

しかし、「深追いしない」という姿勢は、口で言うほど簡単ではありません。特に、展覧会が迫っているなど時間的プレッシャーがある中では、「何もしない」ことへの焦りが募るものです。


  • 克服へのヒント: まずは「小さな実験」として試してみることから始められます。全ての作品に適用するのではなく、一部の作品や、新しい素材を試す際に、自分の作品との相性の見極めるためにまず、描いてみる、実験を行ってみる。あるいは、数枚描いて違うなと感じたら、深追いしないと決めてしまう。そうしながら、素材を直観的に選び、ピンとくる相性に導かれ、その効果を実感し、次の制作への新しい展開をうむ土台になるはずです。


「深追いしない」という分別は、作家の能動的な選択であり、透徹した精神性を示すものです。それは、焦りという葛藤を、より豊かな創造へと繋げるための、深い知恵となり得るのです。

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