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「集中」はどこに宿るか:ノイズと未練が織りなす創作の閾値

流動する世界における「集中」の再定義


集中とは、物理的な孤独だけじゃない。他者やノイズに囲まれていても、時間を「ズラす」ことで生まれる「状態」とは?現代における、新たな集中と孤独のあり方を深掘りします。
ノイズが、どのようにして作品に「取り込まれ」、あるいは「反映され」ているのか?

フロムは『愛するということ』の中で、こう述べています。


「実際集中できるということは、ひとりきりでいられるということであり、ひとりでいられるようになるということは人を愛するようになるための必須条件である。」

この言葉は、私たちに集中と孤独の深い関係を示唆しています。しかし、果たして「集中すること」とは、物理的に他から離れ、完全に静止した状態を意味するのでしょうか?私は、その概念を再定義する必要があると考えています。



「止まったような状態」としての集中:世界との「ズレ」


私にとっての集中とは、たえまなく動き続ける世界から、一瞬でも歩を緩め、止まったかのような状態を作り出すことです。それは完全な停止ではなく、小さく微かに動き続けている、しかし時間の流れから意識的に「ズレた」空間に身を置く技術です。この「状態」を遅らせ、現実を微妙にシフトさせることで、私たちは物理的な孤独に頼らずとも、思考を深めることが可能となります。

それは、ジャッジすることなく、内と外の境界を限りなく薄く保つ試みです。集中は、必ずしも物理的にひとりになることを意味しません。他者、或いは事物に囲まれていても、この「動く状態から時間をズラす」ことができれば、現実から離れた、意識的なズレた空間に身を置き、深く集中することは可能なのです。


内と外の境界線:均衡の瀬戸際


集中している真の状態とは、内と外、その不可分領域・閾値(いきち)のバランスが、まさに瀬戸際で保たれていることを指します。私が繰り返し述べてきたように、それは他者や事物に対し「透明な境界線」を引くことに他なりません。


感情や感覚、思考といった目に見えないもので交流しながらも、自他・内外との接点を限りなくしっかりと保つ。なぜなら、この不可分領域を曖昧にすると、いくつかの困難が生じるからです。

個人が個人としての境界を保つために、私たちには身体があります。身体という容器が、一人ひとりを世界に固定し、一個の物理的な個体として存在することを可能にしています。



「つながる」と「つながらない」の二項対立を超えて


私たちはしばしば、「つながる」ことと「つながらない」ことを二項対立で捉えがちです。「つながるとだめなのか?」「つながらないとだめなのか?」という問いは、現代社会において常に私たちに付きまといます。

しかし、私が考える理想は、つながりながらも、つながらず、そしてつながらずにつながる状態です。物事は相反しながら、相互の関係性によって遠く結ばれています。これは、第一部(「内なる声」の行方:ノイズと自己模倣の時代に、アーティストは何を見出すのか」で触れたノイズや自己模倣が、単なる妨げではなく、創造の養分となるという私の確信に通じます。

集中に対する漠然としたイメージを覆すとき、そこにあるのはノイズだらけの空間です。他と離れて自分の内面と向き合うという漠然としたイメージを覆すとき、未練だらけの複雑に絡まった糸くずが浮かびます。

アートは、情熱と衝動、そして未練とノイズ、これらすべてが混じり合う混沌の中からようやく形を顕し、「内なる声」という幻想を蹴散らすものなのです。


ノイズを養分とする創造のプロセス:無言の対話


私の実感は、「集中」と「孤独」とは、内と外の閾値(いきち)を示すものである、ということ。そして、本当に大切なのは「集中している『状態』」そのものです。この「状態」とは、内と外、境界や閾値の瀬戸際におけるビビッドな感覚を持ち、その隙間に対する風穴を塞ぐ努力をすること。それは、ノイズに対する「無言」という、最も雄弁な言葉を発することに他なりません。


ここで言う「ノイズ」とは、物理的に捨て去られた不要物、雑多なニュースの羅列、他者からの干渉や情報、さらには自己否定や喪失感といった内なる攻撃的な言葉までをも含みます。

これら一見ネガティブな圧力は、私の制作において反動として現れます。

特に、ドローイングでは紙に穴が空くほど筆に力を込める激しさとなって現れるのです。


モチーフを問わず、絵を描く最中に過去や記憶に深くコミットした時、筆が衝動的に走り出すことがあります。それは、まるで無意識の領域に足を踏み入れているような感覚です。


この「ノイズ」とは、絶え間ない騒音や情報の氾濫といったイメージで語られますが、実際には音を伴わない「感覚」であることがほとんどです。しかし、その耳に刺激を与えるような存在に対し、私は「無言」という態度で対峙します。


声を発することはありませんが、その無言の声の象徴として、真っ黒い色、カスレやシミ、力強いタッチやストロークといった形で、キャンバス上で応答しているのです。混沌から生まれるこれらの表現こそが、私の創造の源泉に他なりません。

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