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分析家とクライアント

精神分析としてのドローイング


日課として毎日ドローイングをしている

ブログを始めた当初と同じ目標があった

何を描くかは気にせず毎日時間を設けて定量描く

これが唯一のルールで何を描くかというのは問題にしなかったのだ

徐々に気になりだしたのは毎日描くことの先にある「何を示しているか」に視点が移動したからだ

これは木下佳通代作品を考察した結果だろうか、おそらくそうだろう

物体としての作品を見て、見えないものを引き出し言語化する面白さを知った

わたしは自分の描くドローイングと継続へのこだわりに含まれる見えない部分とは何か。

それを引き出したい

'見えているものは見えないものを内包し二つで一つ'

ということを木下作品から学んだ

ドローイングという行為が内包しているものが何なのか

それに迫るため精神分析を受けるクライアントのような心持と、クライアントの話しに根気よく耳を傾ける分析家の二役を担う

実際に精神分析は受けたことはないから完全にイメージだけど、わたし自身に迫ってみよう

精神分析で分析家はクライアントに自由連想で話しをさせる

耳を傾けるだけ、そこにいるだけ、相槌を打つこともないという

分析家は根気よく耳を傾け忍耐強く待つ

クライアントが抑圧した記憶や経験を思い出し深層心理にアクセスしたときは見逃さず捕まえる

クライアントが発した違和ある単語や脈絡ない語りから真の原因・要因を突き止める

いびつで語呂合わせのなぞなぞ

判じ絵のようなとんち

象徴的な意味を持たないもの同士が関連し連結するのだという

(これに関する真偽は分からず憶測で書いています)


描かれた内容ではないものを掘り下げる

でないとわたしは自分で何をしているか、なぜ毎日にこだわるのか、毎日描くのかわからない

この行為を通して何にアクセスしようとしているか

何にアクセスするのか

根気よく忍耐強く耳を傾ける

わたしは二つで一つのうち、分析家の役割を無視していたのだと気付いた


 

「分析家とクライアント」を読んでくれてありがとうございます


上記の文章を書いて「あ。」とおもったのは分析家としての自分はドローイングを通して見ることではなく「耳を傾ける」ことをしようとしていることだ

耳を傾けるというのは「声」を聴くこと

つまり見るよりも前に声、聴覚がある

レヴィナスに関する読書メモには「聴き取る」「聴覚」という言葉を含んだ箇所がある

見ることは聴くことなのだろうか

聴くことは見ることなのだろうか

ドローイングの声を聴く。とはどういうこと?

はじめてのことに戸惑っている

絵を描くこと、制作することは視覚の問題だとばかりに信じて疑わなかった

見ることに執着していたのだから、それが聴くこと。になるなんて

言葉・logos・倫理・意味

大きなものに繋がっていく予感に身震いしながら今週の収穫を明日の糧にしよう

今日もおつかれさまでした

明日もまた素晴らしい発見がありますように

健康に過ごせますように


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