展覧会を終えて:量から質へ、露出における「選択」の重要性
- Megumi Karasawa
- 7月22日
- 読了時間: 3分

先日閉幕したグループ展『第9回 菜々燦会展』にご来場いただいた方々に心から感謝しています。この数日間は、私自身の作品と真摯に向き合い、アーティストとしての次なる一歩を考える上で、非常に貴重な機会となりました。
特に今回の展示を通して、私自身の活動における根深い問いと、それに対する新たな気づきがありました。それは、作品を世に「露出」していくことの「量」と「質」に関する認識の変化です。
「露出の量」が「認知度」に直結しない理由
これまで私は、アーティストとして作品を世に出す機会を増やせば増やすほど、認知度が高まり、より多くの人に作品が届くと考えていました。確かに、作品を継続的に公開していくことの重要性は今も感じています。
しかし、今回の展覧会での経験は、私に異なる視点を与えてくれました。それは、単に作品の露出機会を「量」として増やすだけでは、必ずしも「認知度」や「深い理解」に繋がるわけではない、という現実です。
考えてみれば、インターネットやSNSが普及した現代において、作品はあらゆる場所で目にする機会が増えました。情報過多の時代だからこそ、ただ目に触れるだけでは、その作品の持つ本質や、背景にあるストーリー、作家の意図までが深く伝わることは稀です。むしろ、無数の情報の中に埋もれてしまうリスクさえあります。
「場」と「共鳴」を見極める「選択の質」
では、何が重要なのか。今回の経験を通して肌感覚として理解したのは、「選択の質」こそが、アーティストとしての活動の成否を左右するということです。
どのような「場」で作品を提示するのか? ギャラリーの雰囲気、来場者の層、その空間が作品に与える影響。これらを深く考察し、自分の作品が最も輝き、メッセージが届きやすい「場」を選ぶこと。
どのような「目的」を持って作品を提示するのか? 新作の発表、特定のテーマの深掘り、あるいは鑑賞者との新たな対話の創出。目的が明確であればあるほど、その展示から得られる成果も具体的になります。
その場に集う人々が、私の作品とどのように「共鳴」し得るのか? 作品が、ただそこに存在するだけでなく、鑑賞者の心に触れ、何らかの感情や思考を喚起する。この「共鳴」を生む可能性を最大化できるかどうか。
作品を「見せる」行為は、単なる情報の提示ではありません。それは、作家の意図が込められたメッセージを、適切な文脈の中で、受け手に深く届けるための、極めてデリケートなプロセスです。今回の経験を通して、その「選択」がもたらす影響の大きさを、改めて深く認識しました。
この気づきは、今後の私の活動において、量的な露出を追い求めるのではなく、質的な「選択」に注力していくという、明確な指針を与えてくれました。
「選択」が拓く、次なるステージへ
この経験は、私にとって大きな「いい負荷」となりました。しかし、その「負荷」があったからこそ、アーティストとしての私自身の方向性、そして作品が本当に届くべき場所を深く見つめ直すことができたのです。
10月の個展に向けて制作を進める中で、今回の学びを最大限に活かし、一つひとつの「選択」に意識を集中していきます。
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