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見るための選択

更新日:1月17日

木下佳通代展より


木下佳通代(1939-1994)は兵庫県に生まれ画家を目指して京都芸術大学西洋画科に進んだ

1970年前半から後半にかけてコンセプチュアルな写真作品を多く制作し81年にはドイツで個展を開催している

しかし81年にはペインティングの仕事に移行していて個展にあたり写真シリーズに作品を絞り出品した

その頃にはシステマティックで禁欲的な写真の仕事は時間がかかり抑圧を感じたため自らの手を使ったパステルや油彩の仕事へ移行する

終生、作品に芸術以外のことをできるだけ持ち込まないようにした制作態度は「存在とは何か」を問い続けた

晩年には存在そのものを描くキャンバスの仕事に収斂していった


1972年に本格的な作家活動を始めた木下は「見る」という地層の下にある視野と認識のズレを写真というメディアを使って掘り進め「存在と存在しないものを等価する」仕事のために歩を進めた

当時の関西方面の芸術動向は大阪万博(’70)以後メディア・アートは下火になり具体美術は解散し大きなイズムがなかった※1

その中でもコンセプチュアルで先鋭的な作品を発表できる場は形成されていた※1

1975年の14点からなる写真作品<<無題Untitled1975>>はシルクスクリーンで一枚の写真を連続して刷り時間差による視野把握の段階を手彩色したシリーズのひとつである

バス旅行の集合写真の全体を見るには主観に基づいて見る対象を選択する。という過程を認識した順に彩色しサインペンで囲っていくと最後の一枚はすべて彩色した写真になる

ジグソーパズルのピースのように一片づつ埋めていくと全体像が明らかになるように視野は細部から全体へと移動し全貌を見ることができる


直観によってある一点にピントを合わせ徐々にその全体を把握する過程が示される

カメラのレンズは存在するものと存在しないものを並置し同時に提示しながら存在そのものに没入するよう求める

しかし存在の確かさを認識するには直観に基づいたノイズを排することはできない

見ることは主体にとり固有の何らかの価値や判断、情動に基づいて行なわれているからだ※2

捨象した対象を並置しながら見るための選択を行う視野と認識のズレ、時間のメカニズムを提示し「存在の全貌」へ純粋に没入することの困難を示している

主体のもつ諸条件をできるだけ排除するという意図を用意しながら、意図から外れる選択を提示する作品である


参考文献、カタログ

※1『没後30年 木下佳通代』KAZUYO KINOSHITA A Retrospective,赤々舎,2024,

※2内田樹『レヴィナスと愛の現象学』せりな書房,2001


視野と認識のズレを作品化する/木下佳通代展評
視野と認識のズレを作品化する/木下佳通代展

「見るための選択」を読んでくれてありがとうございます


先日観に行った「木下佳通代」展で印象に残った作品のひとつについてまとめてみた

書くにあたり参照したのは意外にもレヴィナスについて書かれた本だった

丁度、素朴実在論、懐疑論、現象学について書かれた頁を読みながら、わたしが取り上げた木下氏の作品『無題Untitled1975』を含む一連のシリーズ(シルクスクリーンでひとつの写真を連続して刷り手彩色を加えたもの)は現象学の視点からも検証できるのではないかとおもった

それには現象学が何かを知らなくてはならない、本中の要約を読みながらフッサールの「ノエマ/noma」「ノエシス/Noesis」も見ることと認識についてヒントになるのではないかと気付いた

しかし「ノエマ/noma」「ノエシス/Noesis」が作品に関わるかどうか、間違っているかどうかがまずわからない、それを知らないからだ

知らない状態のわたしが今回書いた文章は知見の幅が狭いということを知る文章になったし解説を繋ぎ合わせただけということを読む人は感じているはずだ

書いてみてわかる、自分に足りないもの

それがなければ始まらない、これがいまの自分の地点

知見を広げて切り口を増やす、すると作品をどう読めるだろうか…この文章が深化するだろうか…訓練するのみ…

わたしはレヴィナスに関する本を読みながら、謎を感じ引っかった一文がある


私たちが自然的状態にあるとき、私たちは「それらの価値判断のどれかに与したり、判断に即して生きている」。レヴィナスの比喩を使って言うと、私たちは何かを見ているつもりでいるけれど、その実、私たちの視点は「その対象によって塞がれている」(EL,p76※)

内田樹『レヴィナス 愛と現象学』,せりな書房 2001,p.p.98-99

※エマニュエル・レヴィナス著 原田佳彦訳『倫理と無限』,朝日出版社,1985



「その対象によって塞がれている」とはどういうことだろうか

自分の地点を知った日、今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように



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