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今、古、混濁

更新日:6 日前

イマ、イニシエ


しばらくPCの前でぼーっとしてなかなか書き出せずにいる


普段よりインプットが多く充実して結構なことだった

それによって頭が整理されず詰まりを起こしている

午後ウォーキングで数種類の桜の木をみて心が洗われた

ピンク色のグラデーションと柔らかな八重の花びら

丸くて小さくてボンボンみたいな桜の花は特に好きな種類

例えば、関山桜(カンザンザクラ)や普賢象(フゲンゾウ)、松月(ショウゲツ)の品種がいい

そうそう週初めにした仕事が滞りなく完了しホっとしたのだった

一日を振り返る


インプットの充実というと、TVで放映した映画を観たことと、流行の最先端を象徴する媒体、雑誌を五、六冊パラパラと読んだことが大きい

数種類の雑誌で現代アート特集が目立っていたことが印象に残った


映画はクリント・イーストウッドの『運び屋』を見た

実話から着想を得た作品だ

内容もさることながらエンドロールで流れた曲、歌い出しは「老いを受け入れるな」だった

丁度わたしが制作している作品のテーマがロスト・ペインティングで喪失や老い、成熟とは反対にあるものを通してわたしは誰か。ということを問うている

謂わば老いを受け入れる。ということだ

成熟をピークに気力・体力・知力が失われていくさまを描き、存在を特定するものがなくなった人間の視野や視界を描いているのだが、偶然見た映画とわたしの作品テーマが底辺で遠からずつながり、これもセレンディピティのひとつか?と感じた出来事となった


映画は実話を元に九十歳(には見えなかったが相当お歳を召した印象のクリント・イーストウッド)の優良ドライバーがひょんなところから麻薬の運び屋になり大きな仕事を任され、大金を手にし、家族との関係性や彼自身の人生の悲哀を描いている

観た後で、わたしが老いをテーマにするのは年齢的に早いかなと一瞬おもった


しかし四十歳だろうと九十歳だろうと物理的な年齢と内面のバランスはあってないようなものだろう

数字ではないところで感情や心情は主観的にならざるを得ず、年齢と内面のギャップを感じることは多々ある

誰にも平等に来る衰退や死に対して逆算するように現在があるとすれば、喪失や老いのイメージは振り払うことはできず若さやエネルギーの影となって離れない


雑誌で特集していた最新の現代アーティストや作品が三ヶ月後、半年後、一年後どうなっているか誰もわからない

新しい表現や新しい作家の登場で舞台に立つ人々は常に更新するのだから

SNSのフィード画面が秒ごとに更新するのと同じように最新のものは瞬時に最古になる

いまといにしえに向かう矢印の双方向の速さ、同じではないのか


活発に動くものと終末に向かうものが混濁した日になった

こういうときは自分が自分の中心から離れてしまわないようしっかりと手綱を引こう

実体なきものに引導を渡さないように


読んだ本の一文を記したい

今日もおつかれさまでした

明日も素晴らしい日になりますように


古典の言葉がいかに通じるものであるか。私が手元に控えている言葉を紹介したいと思います。いずれも古代ギリシアの哲人、アリストテレスの言葉として伝わっているものです。
「若者は簡単に騙される。なぜならすぐに信じるからだ」ー「信じる」ということは一種の怠惰の現れだと私は考えています。 ヤマザキマリ『歩きながら考える』中公新書,2022,p.p215-216

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