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執筆者の写真Megumi Karasawa

見直す

更新日:11月22日

「作品」て何ですか?


作品

このセンテンスに含まれる解釈を根本的に見直すことが必要です

わたしがしてきた作品制作は誰に教わったものではなく自分がこうだとおもうことをしてきました

作品として現実に存在するまでの一連の過程について重要な考察をすっ飛ばしてきました

作品は描いて終わり、写真を撮ってSNSに投稿して終わり、個展をして終了…ではないということです

そもそもわたしが「作品」と呼んでいるものはなんだろうか、それを知ろうとおもいます

ドローイングやキャンバスやパネルに水張りをしてその上に絵を描いて完成したものを「作品」と呼んでいます

何を描くかというと現実の風景から出発してそこから疑問を抽出し疑問に対する考えを絵にします

問いそのものを絵にすることもあります

それをコラージュや墨や鉛筆など身近にある素材を使って紙の表面に定着します

作品が完成したら展覧会をして人に露出します、以前はSNSで作品を投稿していました

作品はそのとき一番自分にとって新鮮で興味をそそる疑問を提示するものです

そのプロセスのどこをどのように変化させたら作品の捉え方を見直すことになるのでしょうか


見直す


作品というものの重みが薄いのは充分に推敲を重ねた思索と実践・時間の密度と層が欠けているからではないかと突き止めます

つまり手を動かせば絵を描くことができるけれど、その絵が生まれた背景や動機、なぜ?という視点をもっと深める丁寧な作業とその作品をつくる素材や扱う物質の選定をコンセプトに沿った行動になっているかという検討もすること、作品に関わる距離を詰める、距離を縮めることから始める

作品をつくるベースになるコンセプトは個々それぞれにあるけれど、それを丁寧に掘り下げること、美術の歴史と現代を照らして相対的に考えて思索の質と密度を高める

これらを作品に反映すると、作品が描いて終わりではなく過程の状態から作品化することになります

ひとつの物質的なモノが作品ではなくてそのモノがうまれる前の状態から作品という認識を持つ

幾億年の時間と密度を伴ったある普遍的な物質としての結晶が目前に顕れるということです

描いてしまえばスピードに乗って勢いがつくけれどその前のプロセスから認識を変える必要があったのです

作品が描くことを意味するのでなくて「つくる」ということであり、どうつくるか何をつくるかが密度に関わります

その一秒一秒が込められたとき、そこにあるものは作品以上の何かの集積でありひとつの現実になります

絵を描きはじめなければ始まらないけれど、その絵のプロセスを重層的にし密度の深さをプラスする、ルートの見直しだ

今までのやり方を変えて新しいルートを見つける作業は自分以外の他者の仕事や作品をみることです

客観的になり作品と自分の行動もトライ&エラーしながらひとつずつ試していきます

つくることそのものの捉え方や考えを見直し、同じ場所でぐるぐると周り続けることを避けます

もっと違う場所に行きたいし違うものを見たい、同じものを見るにしても違うみかたをしたいのです


Megumi Karasawa 自分のこれまでの作品制作過程や「作品」に対する捉え方を見直し新しいルートを探す
自分の作品、どこをどのように見直すか

「見直す」を読んでくれてありがとうございます


午前中はダウンしてしまいました、背中が痛み眠気に襲われ立っていられなかったのです

午後手を動かしたらあら不思議、気持ちが落ち着いてゆっくりと息を吐き吸って楽になりました

絵のモチーフに没入すると他のことは忘れてしまったようです

こんなに何も考えないで、というかモヤモヤしたものからグアッシュの色やその重なりに集中できたのが良かったみたいです

「作品をつくる」って何だろうってことを考えていたら今まで自分のしてきたことの浅い面が気になってしまいました…浅さというか、その作品について自分がなぜコミットメントすることができなかったんだろうとか、なぜひとつひとつを丁寧に掘り下げて制作の時間を生活の中心に据えて考えられなかったのだろうとか…ジメジメした反省ばかりになってしまうのはいつものパターンです

何かに追われて急いで仕上げてしまうことがほとんどでした

衝動や感情や気分で調子が上がり下がり作品を犠牲にしてしまっていたのではないだろうか

作品はそうやってつくるものではないのかもしれないし、そうであったとしてもそのやり方ではもう限界があるってことに気付けてよかったんだと納得しています

これまでレンタルギャラリーで作品を展示してきたけれどなにかもの足りなくて、なにかが違うような気がして、ミライが予見できてワクワクがありませんでした

自分自身に疑問を抱きこれでいいのかと悩み優柔不断になってしまう嫌いがあります

これでいいんだと変えずにまっすぐに自分を信じて進むという方向もあると知りました

どちらにしてもバランスを取ってその中間にいるようにしたいものです

静かな時間に多くの気付きがあります

毎日同じ日はありません、毎日が積み重なりわたしはいまここにいます

自分自身は勿論、自分のしていることにかける時間を大切に蓄積したい

「平穏なとき」というのは自分のなかにあり自分でつくりだせます

どんな場所にいても見失わずに没頭できることをし続けていく方法のひとつに「毎日書く」ということをしています

読んでくれる人にとっても今日を大切に明日も素晴らしい日になることを願っています

今日もおつかれさまでした

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