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執筆者の写真Megumi Karasawa

Pazza(クレイジー)

更新日:12月6日

現象と経験のドローイング


某日、小さなドローイングで意識改革を行った

紙に描くのはイメージでもメモリーでも具象でもアンフォルメルでもないものになった

始めに言ってしまえば「現象と経験」の画面になった

現代アートがキャンバスから離れて行うインスタレーションのようにホワイトキューブに現象と体験を作品化するのと同じような意識をドローイングに行ったのだ

絵を描きながらわたしは絵から離れて目に見えないその場の雰囲気と空気、自然現象と経験をそこに写し取った、最小限の道具を使って小さな紙に空気の充満と気候の変化と見逃しがちなささいな現象を掬い取ります、デリケートでナイーブな世界を表現しながら強弱や深浅、厚みや薄さ、硬柔という二極対立から離れます

わたしが描く絵は現象であり経験をみる絵ということになりそうです、支持体を空間に置き換えるとインスタレーションになるし何らかの装置によって場をつくる現代アートの解釈になるかもしれません

現象と経験がその場限りの有限性に基づくので先に挙げた「デリケート」や「ナイーブ」に代表される儚さや脆さを強調するものになりますが、それは二極化された世界の構造から離れて第三の道、いや第三の道からも逸脱するような独自の通路によって場に現実をもたらすことになるでしょう

この意識改革によって空間に作品を展示するという従来の認識とは全く異なる思考と言語で作品を自分に引き寄せたい

「作品」という概念があるからつくるのでなく自分の行動そのものでありたい…

手を動かしドローイングをし続けると紙に描くことそのものから離れるような感覚になります

絵を描くとは何でしょうね

以前それを別の言葉で例えたことがあります「空気を描く」ということでした

紙の上の空気をかき混ぜる、空気を動かす、空気の流れをを変化させるというものです

絵が物体でありながら物体であることから離れて水の流れや雲の動きや風の通り道や光の反射や自然現象をその場にいて感じる感覚を経験という絵に顕すのです

現象を経験するイコールみる。という行為に再定義すると、みることは視覚体験だけではなくなり、人体にダイレクトに反応を与える体験になるのです

ドローイングはこの一瞬という現象をとめどなく変化し続ける毎日に重ねて顕す独自の通路です


従来の認識とは全く異なる思考と言語で作品を自分に引き寄せたい
従来の認識とは全く異なる思考と言語で作品を自分に引き寄せたい


イタリアのポップスを聴く


Loredana Bertè イタリアの歌手、御年74歳の彼女を知っていますか?

某日、NHKのイタリア語の語学番組で♪Pazzaという曲の歌詞のフレーズをとり上げ文法と言い回しの解説をしていました、数分のコーナーだったのに音楽が心に響く

彼女のビジュアルもインパクトがありましたね、生々しい歌詞・リズムと声に惹かれました

このブログを書くためにもういちどYou Tubeで調べてみたらやっぱり勇気付けられ感動しました

年齢は関係ないと言う意見もあるけれど、74歳でこの歌詞を歌うにはこれまでいろんなことがあっていろんな経験をしてきたからこそ説得力があります、いまだから言えることという意味では74歳まで葛藤や悩み評価や社会性や人間関係の中でもがいていたんじゃないかな背景に想いを馳せました

「私は十分に自分を憎んだ(Mi sono odiata abbastanza)」

という一文はとても悲しくとても美しくとても感動し共感する部分です、だからこそ

「私は私に夢中なの(E sono pazza di me sì perché)」

という一言が効いてくる、この一文に涙が出そうになります

PVもビョークみたいで面白いので興味がある方はぜひ聴いてみてください

女性として響く人にはとても響くのではないかとおもいます



Loredana Bertè  イタリアのポップスを聴く
Loredana Bertè イタリアのポップスを聴く

「Pazza」を読んでくれてありがとうございます


このページに付けるイタリアの写真を探していたらイタリアに行ってみたくなるほど、魅力的で素晴らしい写真がたくさん出てきました、日本でも観光地としてとても人気のある国、こうして世界中にある美しい情景に触れると夢をみているような気分になります、写真だけでも旅気分を味わえますね

イタリアはどんな国なんだろう…

ブログで「毎日同じ日はない」と書いていますが、ほんとうにそうなんです

昨日と全くちがう日を過ごしています

暗くなる頃には日中抱えたいた体調不調も回復し海外の美しい写真を見て心が落ちつきました

回復の一番のきっかけは料理と家事とドローイングです

毎日していることをしたら回復しました、いつも何かしら不調を抱えているわたしですが、他愛のないことやささいなことも気になって仕方なくなるし不安を感じるしすぐに落ち込んで引きずってしまうので、日常のひとつひとつの仕事ができただけでも十分なんだとおもうようにしています

散歩にも出かけ外の空気と太陽を浴びたら暑さを感じました

冬だというのにぽかぽか陽気で気候も穏やかで嬉しくなります

ささいなことに気付けるのはわるいことばかりではなくいいこともあるのです

もっと言えばわるいこと・いいことの区別はしなくていいのです

これは毎日書いているからこそ発見したたからものです

いいもわるいもない、ただ揺らいで動き続けているだけなんだということです

そのときをジャッジすることなく物事をそのままの状態でみればいいだけなんです

名付けたり判断するから心が左右されてしまうのです

フラットな状態という中間をもちながら、今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように




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