Restarting
- Megumi Karasawa
- 5月12日
- 読了時間: 3分
更新日:5月12日
四週間の停滞期間
四週間の停滞期間が終わろうとしている
ブログでここ二・三日は気分が塞いでいる状況を書いてきた
正直ブログに書くことではないかもしれない
ブログにはアートについて、作品について書きたいし毎日それについて考察していたい
でもアートや作品について毎日書くほど、毎日考えているわけでない
(毎日アートや作品について考えていないことはダメなこと。という自戒が含まれている)
気分の揺らぎや塞ぎ込みに翻弄されるし
すぐに躓く
アップダウンするモチベーションに付いてくだけで精一杯で強靭な身体も忍耐力に恵まれているわけではない
ブログには毎日を必死に追いかけるだけの記事が含まれている
書く必要のないトピックだと思いながら書いてしまうのは、心情的に寂しくなる
しかし毎日を記さなければ一日を終えられず何でもいいから書いてしまう
それがリアルだとおもっている
一日一日同じ日はないし、同じモチベでし続けられない
この事実を知るために書いているのかもしれない
等身大の自分、わたしはこういう人間だ。と知るために書いているのかもしれない
現実に生きる自分
自分のことを理解できていない自分
決して誰でもない自分
四週間の停滞から抜けたのは突然だった
雨降りの翌日のように、何ごともなかったかのように晴天に恵まれた空
夕方過ぎたころ、気分は晴天になった
この軽さはなんだろう
このやる気に満ちた気分はなんだろう
「わたしはできる」と唱えて力が入るのはなぜだろう
唐突に切り替わり?明けた!
ポートレート/ドローイング
・四月十四日ー二十日 二十二枚
・四月二十一日ー二十七日 二十八枚
・四月二十八日ー五月四日 四十一枚
・五月五日ー十一日 十八枚
四週間で百九枚、一日約三.九枚
小さな紙にドローイングをしたことになる
一枚描くのがやっとの日
描いていると言えるかどうか怪しいドローイング
描けなかった日
四月の中旬から五月の初旬は躓きやすい
伸び伸びしたドローイングが再開できた日
外面だけの面白さより、いつまでも観ていたくなるような絵を求める気持ちが高まる
わかっている
ルドンを鑑賞したからだということを
ルドンは同時代に活動した印象派の作品に理解を示しつつも外見の美しさだけを記述していること、
作家の内面や感情・意味を含んでいないことを指摘している
象徴主義、二十世紀初頭の芸術家たちの批判の対象でもあった事柄だ
わたしは実際にルドンの絵を見て感動した
表面的な美しさだけでなく、作家の思想や感情を含んだ画面
静謐で余計なものを落とし簡潔になったフォルム
単色なのに複雑な色彩を混ぜて作ったような陰影を含んだ深い色
スフマート技法の魔力
時間を超越して観る人が絵に没入し何度でも観たくなるドローイングを描きたい
絵画は物質。という平面的でない方向
現代アートと異なる方向
自分が実際に観て感動した体験が作品に反映する段階では、余計なものを落としたい
余計なものは視覚的な面白さ、だ
面白くするためにしていることを落としてみたら、古典的なものに収斂していくのだろうか
わからない
とかくリスタートして始めよう
今日もおつかれさまでした
明日も安全で素晴らしい日になりますように
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