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執筆者の写真Megumi Karasawa

みかん狩りの夜

更新日:11月20日

みかん


某日、家族とみかん狩りに行ってきました

ここ5年間11月のこの時にみかん狩りをしに行くのが恒例となっている

去年のみかんは出来が良く小粒のものが美味しかった

味が濃く酸味と甘味がバランスよかったので今年はどうかな

期待しながら伺うと今年はもう「最後の最後」ということで8割~9割のみかんは収穫されていてみかんはほとんど残っていない

木には大きくてふかふかしているみかんがなっている、小さく固くしまっているものは数個あるのみ

食べてみると…みかん農家のご主人に伺うと「今年は良くない」とのこと…う~んたしかに味が薄くて水っぽいような…「今年は出来が良くないから団体さんをお断りした」という

この辺の地域どこもそうだったようで野田(千葉)や内牧(埼玉)もいいみかんではなかったそうだ

みかんは痩せた土地のほうが育ちが良く、ここは元々野菜やお花を育てていたから土に栄養がある、そうするとあまり美味しくならないのだとか💦しかもみかんは植えてから10年は美味しくない、ここは植えてから14年経った、みかんがなるのは去年の枝で今年の芽には実がつかない、なので選定が難しい果実栽培は難しいね、、と仰っていました

それでも100坪以上あるみかんの木になる果実は美しく幸せな気分になるのでした、幸福と喜びを感じる…その光景は甘い夢のよう…


ご主人が仰るには「来年はいい」とのこと、味は隔年で良くなる?のでしょうか…

来年の味に期待して、家族が元気でまた天気がよい日ここに来れたらと願いながらみかん農家を後にしました

みかん狩りをした日の夜、昨日と同じく目が冴えて眠れないので読書する

偶然にも蜜柑の町が舞台の小説、坂口恭平「徘徊タクシー」

熊本市河内町白浜、蜜柑選果工場でのある出来事から実家を舞台に認知症になった曾祖母の記憶をたどりながら年配の方のタクシー会社を始める男性のお話し

坂口氏の小説を読むのは初めてだったけれど一気に読み終え…とても面白かった

氏の日記を読んでいたのでその延長というかフィクションとノンフィクションとエッセイが混然一体になっていて文体も淀みなく気持ちのいい小説でした

みかん狩りから蜜柑の町の本を読みながら今日のブログの始めは「みかん」に決めて書きはじめたのでした


みかん狩りに行った日の夜に坂口恭平「徘徊タクシー」を読む、熊本市河内町白浜、蜜柑の町が舞台の小説だった
坂口恭平「徘徊タクシー」を読む、熊本市河内町白浜、蜜柑の町が舞台の小説だった

目が冴えてページを埋める


久しぶりに小説を読んで読後、気持ち良かったせいか、ますます眼と脳が冴えてしまい深夜真っ白いページにアイディアを書きつける…興奮を吐き出すかのように一気に書いて気持ちが収まり脱力し眠りについた

昨日ピカソの生涯作品点数についての記事を書いたこともあり、創作に対する姿勢が頭に残っていた…ピカソは生涯15万点の作品を制作したわけだが、これは生まれてから91歳でなくなるまで毎日約5点の作品を仕上げていたことになる、、毎日の生活で一日5回することはなんだろう…コーヒーが好きな人は一日5~6杯は飲むだろうし、成人の一日のトイレの回数は5~7回だという、スペイン人は一日5食取るという…そうだピカソはスペイン人、だから毎度の食事毎に一作品を仕上げていたのだと考えると納得がいく、ピカソにとって絵を描くことは一日の食事(や排泄、コーヒー)と同じようなものだったのではないか?と考えると面白い、食事する度に作品が生まれるのだから…


♦Desayunno(デサジューノ):朝食

♦Almuerzo(アルムエルソ):朝食と昼食の間にとる軽食

♦Comida(コミダ):昼食

♦Merienda(メリエンダ):昼食と夕食の間にとる軽食

♦Cena(セナ):夕食


この5回を5枚の作品にするのがピカソ、スピードもさることながらやはり量はとてつもないな

そんなことを考えていたら深夜に眼が冴えてしまうのは当然だ、同時に自分の意欲も掻き立てられスピードと量をこれまで以上に重視したいとおもったのでした

「今までのやり方はしない」というルートでどんどん新しい方法を取り入れていこうと力の入ったページを書いたのでした



銅版画模写


もうかれこれ8年以上前に銅版画を習いに浦和に通っていました、3~4年は通っただろうか

銅版画工房で一通り銅版画技法の基礎を3ヶ月学び、その後は各々独学で試行錯誤をしながら作品をつくるという工房でした、ここで初めて銅板彫刻と言われる「エングレーヴィング」と出合いその技法にのめり込みました

エングレーヴィングは銅版画の中でも最古の技法でその歴史は古く15世紀のドイツで生まれました

これは金細工職人が武具や貴金属の装飾のために金属の表面を印刻するために生まれた技法とされていて、今でもこの技術は国立印刷局で工芸官が紙幣を作るために用いられている技法です


国立印刷局が製造する日本銀行券などの原版作製では、現在でも工芸官による手仕事が中核となっています。 ビュランという金属の細密彫刻に適した専用の彫刻刀が用いられますが、このビュランを使いこなすには熟練 を要し、長い年月と根気が必要とされます

→参照元 京都市立芸術大学 広報センターhttps://www.npb.go.jp/product_service/intro/tokubetukogi.files/20240621_kyotogeidai.pdf


手のひらに収まるころんとした形のビュランという道具一本と己の描画だけで銅板を彫り刻むシンプルで潔い技法はその当時のストイックなわたしの制作態度にうってつけでしたし、腐食液などの薬品も必要なく手順も少ないことも性に合っていました

小さなプレス機を購入し工房へは通わず自宅でエングレーヴィングをしていました

そのうち銅版画そのものから遠ざかるのですが、いつかまたエングレーヴィングをしたいと思い0.03ミリのペンをビュランに見立てデューラーの銅版画を模写しました(ちなみにアルブレヒト・デューラーの父はハンガリーからドイツに移住してきた金銀細工師です)

模写ではクロスハッチングの方法を学びました、模写によって15世紀から続く銅版画的なもののみかたを徹底的に身体に覚えさせようとした時期でした

その頃の模写が「ひとり出版社」の手描き新聞に活かされることになるとは思いもしませんでした

はい、アトリエでは「ひとり出版社」もやりたいことのひとつでなんです

どんどんしたいことの目途が立っていくのを冷静に受け止め目標に向けてスタートを切ったのです



手書き新聞をつくっていた頃を思い出し、大人になって再チャレンジする
手書き新聞をつくる

「みかん狩りの夜」を読んでくれてありがとうございます


小学2年生のころ通っていた学童で隔月?だったか気まぐれ発行か、子どもたちがそれぞれ手作りの「新聞」を作っていました、レイアウトやイラスト、テキストを考えてそのときの興味あることや日常生活、初めて知った意味の分からない言葉を真っ白な紙に自由に書くのがたのしくてすきでした

友達の新聞を読むのもたのしかったな…そんなことを思い出しもういちど手書きの「新聞」を作りたいとおもい書こうと思いたったのですが、、レイアウトを考えながらイメージが湧かず(子どものころ画いていたようにと思うけれど進まないのだった!)にいた、、このままイメージだけで終わってしまうのは嫌だとペンを持ち絵を描き始めるとあら不思議!銅版画を模写していたときの線や構造になったのでした「あ、これでいこう」と算段がつきました

というわけで絵を描くこととペンによる銅版画風手書き新聞の作成も加わりました

今までやってきたことが年月を経て何かに結実していくような瞬間を味わえました

自分のしてきたことに自分が救われ助けられ力を貸してくれる、自分がしたいことは自分が持っている

未来の自分からギフトをもらったような嬉しさをかみしめいている

始めたことがすぐ結果にならなくても成果に繋がらなくても出来事というものにはタイムラグがある、それはズレてもかならず自分の元に戻ってくる、「願い」もそうだ

種を撒き芽が出るまで3年以上はかかることを想定する、焦るな焦るな

毎日書いて描いて始めることを恐れない

今週も一週間おつかれさまでした、身体を休めて明日も素晴らしい日になりますように

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眠り

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