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アートと食事

食事の質が変化した


一昨年から去年にかけてグルテンフリーを実践していた

実践といっても厳密ではなくゆる~く心がけていたのだが、主食となるパンやうどん、パスタやラーメンなどの麺類を控えることにした

それ以外の小麦粉製品に関しては大目に見ていた

なぜなら、あらゆるものに小麦粉が使われているから

お菓子全般やカレーのルーやシチューのルーなど完全に除去することは難しかった

約一年間、ゆるグルテンフリーをしていたが徐々に口にするようになった

きっかけは去年開催した個展である

毎日ギャラリーに通い詰め日常とは違う緊張感と初対面の方との出会いは刺激があり、

節制していた食事からはみ出す強い抑圧やプレッシャーに耐えきれず

食事で憂さを晴らすようになったのだ

徐々に、徐々に以前の食生活に戻っていった


現在


体調を崩して見直した食生活だった

体調の悪さイコール、グルテンのもたらす影響だと考えた

グルテンのもたらす影響として不眠症、神経障害、ストレスや婦人科系の疾患がある

特にわたしは不眠症や神経障害、ストレスを感じやすく小麦製品と糖分を控える生活に入った


現在、以前の食生活に戻り何でも口にするようになった

いまは健康な状態である

かというと実はそうではない

というのは人間の体は半年前に食べたものでできている!

今調子が良いのは過去の食生活の結果である

半年前に食べたものが現在の体調管理をしてくれた

食べたものがすぐ反映されるわけではなくて、半年後を見据えて自分に手渡すものなのだ

それが積もり積もって十年後、二十年後、三十年後の健康のために準備している、といえる



小麦粉摂取の弊害⁉


食生活を戻した結果体に変化があった


1.顔にできものが増えた

2.間食の回数が増えた

3.身体に重みを感じるようになった


ことである

ひとつづつ原因を見ていこう

(👇以下はグルテンフリーの料理本を参考にしている)


1.顔にできものが増えた

→グルテンにより腸に炎症が起きたり腸の消化・吸収が起きると肌トラブルや肌アレになる

→小麦粉製品を摂取すると血糖値が急に上がる、これを抑えようと通常以上のインスリンが分泌され、皮脂を刺激しニキビや吹き出物が増えると言われている


2.間食の回数が増えた

→小麦粉(グルテン)に含まれるたんぱく質、グリアジンが食欲を刺激している

→グルテンのアミノ配列はモルヒネと似ているため脳内は小麦粉をモルヒネと認識し一種の中毒症状を引き起こしている


3.身体の重み

→グルテンは腸の粘膜を荒し炎症を引き起こすため、お腹がパンパンに張ってしまう

→インスリンが大量に分泌されると中性脂肪を溜めやすくなり肥満やメタボリックの原因になる


こうして自分の身体の状態を点検し、身体の状態に敏感になると心にも影響がある

食事制限は欲を抑えるものだから、しすぎるとかえって過激な刺激を求めてしまったりストレスになる

ほどよい距離感で、身体と心の按配を見つけながら、がいいのだとおもう


どんなに気をつけていても、暴風雨のように根こそぎなぎ倒す強い衝動がある

身体にとってよくないものを食べたくなるときがある

そういうときこそグルテンフリーから離れたり、また近づいたりという距離の伸縮が起きる

一度決めたことを突き通すのでなくボーダーラインはいつも動き続けている、のが自然


アートと食事から現代アートまでの連なりを見出す
アートと食事から現代アートまでの連なりを見出す

アートと食事


アーティストは暴飲暴食なのだろうか

禁欲的(ストイックな)仕事を自らに課していたら、私生活では羽目を外してバランスを取らないと、実は持たないのではないか?というリアルな側面を考える

羽目を外すことイコール暴飲暴食とは限らない

けれど食事を満足に摂れず、すきなものを我慢し節制したら仕事そのもののパフォーマンスを保てるのかどうか…

先に書いたようにどんなに食生活に気をつけていても暴風雨のように根こそぎなぎ倒す強い衝動がある

人間は動き留まらず循環する


食事と健康

食事とアート


脱線するが、わたしの知り合いでクリエイティブな仕事に就いている人やアーティストは料理上手が多い

料理は、本来命を育む創造的なものである

健康を重視し節制するというよりは大いに楽しみ、美味しいものをつくり乾杯する幸福な風景が思い浮かぶ

新鮮な食材を選び調味料、調理道具、調理方法、時間のかけかたや盛り付けに至るまで、一連の流れは相手を思い、作品をつくるようにスマートでエレガントな行為である


アーティストに料理上手が多いのは、料理と制作がつながっているからかもしれない

健康のため、長生きのため、身体の調子を整えるためだけに食事があるのでなく食べる楽しみや喜び、

分かち合いや、美や共同体をそこに見出すのだ

アートと食事の根っこにあるものは同じかもしれない



リレーショナル・アート


リレーショナルアート(またはリレーショナル・エステティクス)は、フランスの美術批評家ニコラ・ブリオーによって最初に観測され、強調された美術実践の一形態または傾向である。ブリオは、このアプローチを「独立した私的空間ではなく、人間関係全体とその社会的文脈を理論的・実践的出発点とする一連の芸術的実践」と定義した。リレーショナルアートにおいて、アーティストは作品の中心ではなく、むしろ「触媒」のように受け取られる傾向にある。『リレーショナルアート』Wikipediaより

リレーショナル・アートは『関係性の美術』と言われるアートの総称であり

作品の内容や形式よりも関係性(relation)を重んじる

鑑賞者をある状況や出来事を生み出す過程に参与(participation)することを本質とする

リレーショナル・アートは作品それ自体に観客が能動的に関わることで人々の出会いを通じて社会的行動に繋げていくアートである


代表的な作家はニューヨークの画廊のオープニングでタイ風焼きそば「パッタイ」をふるまうパフォーマンスをしたリクリット・ティーラワニット(タイ:タイ語: ฤกษ์ฤทธิ์ ตีระวนิช、英:Rirkrit Tiravanija、1961 -)

キャンディーを展示室に大量にばらまいた作品で知られる(大量のキャンディーの総量は作家の亡くなった彼女の体重と同じにする、という指定がある)フェリックス・ゴンザレス=トレス(Felix Gonzalez-Torres, 1957 - 1996)がいる


アートと食事から現代アートの連なりを見てきた

リレーショナル・アートが一九九〇年代後半により広く用いられた背景には

インターネットによって開かれた変化するメンタルスペースを出発点とする(『リレーショナルアート』Wikipediaより


二〇一九年十二月、最初の感染者が確認されて世界中に広がったコロナ禍では食事の際「孤食」や「黙食」が推奨された

リレーショナル・アートで参与や関係性を打ち出した現代アートの文脈は、未曾有の自然災害によって断絶された、人々は隔離された

食事を通して得るのは健康維持や長寿という目的のためだけでなく、まして孤食や黙食というものでない

食事の内容と心身に与える影響と人々との関係性によって「食べる」というシンプルな行為の複雑さや多様さを見出した

コロナ以前とコロナ後の世界を食事を通して見ると、絵を描いているだけでは見えなかったものが見えてきた


今日もおつかれさまでした

明日も素晴らしい日になりますように


♦参考文献

・大越郷子『グルテンフリーのパンと麺とおやつ 小麦ゼロなのに驚きのおいしさ。身体が軽くなり、モチベーションもアップ!』PHP, 二〇一六

・大柳珠美『腸からきれいにヤセる!グルテンフリーレシピ』青春出版社, 二〇二一


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