タイトルひとつで、意識が変わる
- Megumi Karasawa
- 8月29日
- 読了時間: 3分

個展の準備が続いています。
作品が完成すると、最後に待っている大切な作業があります。
それは、「タイトルを付けること」です。
今日は、私が作品にタイトルを付ける際に考えていることや、その意味についてお話ししたいと思います。
タイトルは「最後の筆跡」
作品は、描いている間、私自身の感情や衝動を映し出す鏡のような存在です。
しかし、完成した作品を前にすると、まるで私が描いたものではないように、ハッとすることがあります。そんな作品にタイトルを付けることは、私にとって、作品に最後の一筆を残すような行為です。それは、描く行為と同じくらい、いえ、それ以上に重要な行為です。
抽象画や非具象的な作品の場合、タイトルは、鑑賞者が作品を理解するための最初の、そして最も重要な手掛かりとなります。
例えば、一つの色彩のハーモニーに「記憶の断片」というタイトルが付くことで、その作品は単なる色の組み合わせではなく、個人的な物語を帯び始めます。
美術史から紐解くタイトルの変遷
タイトル付けは、時代とともにその役割を変えてきました。
近代以前の絵画では、タイトルはほとんどが作品の内容をそのまま説明するものでした。「聖母子像」や「自画像」のように、何が描かれているかを伝えるための単なるラベルだったのです。
しかし、20世紀初頭に抽象絵画が生まれると、タイトルは大きな転機を迎えます。ワシリー・カンディンスキーは、具象を持たない作品に、音楽用語の「コンポジション」や「インプロヴィゼーション」といったタイトルを付けました。これは、描かれたものを見るのではなく、音のように色や形を「感じる」ことを促すためのものでした。
商業性と哲学のはざまで
以前、アート関係の方に言われたことがあります。
「タイトルひとつで売れるかどうかが決まる。だから無題というタイトルは付けない方がいい」と。
一方で、私の敬愛する芸術家たちの多くは、タイトルを最小限に抑えていました。
ピカソはタイトルを付けることに興味がなく、画商に付けさせていたという説もあります。また、アルベルト・ジャコメッティも『女Ⅰ』や『歩く女』といった、簡素で本質的なタイトルを付けていました。
この言葉と、敬愛する芸術家たちの姿勢。
この二つの間に、私のタイトル付けの難航は続きます。作品を商品として捉える現実的な側面と、作品そのものに全てを込める純粋な哲学。私はその両方と向き合いながら、言葉を選んでいます。
その一方で、簡素なタイトルは、個人的な情動や思想を越えて抽象的になればなるほど、普遍的な人間そのものに訴える拡がりを持っていると思います。
タイトルは一つの単語から、どれだけ言葉以上のものを引き出せるか。ということを目指して言葉と作品の間を行き来します。
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