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ロスト・ペインティング#6 内なる動機

更新日:5月26日

心身の乱降下があり、気持ちが滅入っている

状況を打開するようにブログに向かう、書くことは心の安定につながるからだ

どこまで気持ちが吐き出せるかわからないけれど、とにかく書いてみよう


わたしが仕事をする理由


仕事というと大げさだがもっとフランクに言うと絵を描く理由は

言語化されない思い出や記憶を自分の存在と切り離せない作品に落とし込む葛藤から発生する


今取り組んでいるキャンバス作品は自分の内面に向き合い、過去や思い出からの卒業というプロセスを含んでいる

訴えたい大きなテーマがあるわけでもなく、継続して取り組んでいるテーマでもない

明確なステートメントがあるわけではない(何度かトライしているが、これというものは打ち出せていいない)

わたしの仕事はそのとき、そのときの自分の経験や感情や心境、リアルタイムの問題を長い期間辛抱強く考えて、ようやく納得できる形にする行為である

個人的な思い出と経験を色や形、線で感情的に顕したとき、表面的な世界ではない場所でひっそりと行う必要があった

その意味で今回の作品は、これまでの作品とは異なるとてもパーソナルなものになっている

風景に代表される自分の外側の世界から自分の内面を見つめる作品に移行したのだ

パーソナルな思い出を視覚化し物質化すると、わたしは自分の枠からひとつ踏み出した

より大きな、より普遍的なテーマに導かれる可能性を秘めた仕事になりそうだという予感


わたしは女性である

いや女性であった


女性である以上誰かに見られる存在であり、誰かの視線に晒される存在だった

女性でなくとも人間は人から見られ、人を見る存在だということに変わりはない

他者の視線を感じながら自分の性別を意識することを考える

自分の体、心、言葉、感情、願望、視線、温度、湿度、空気…

これらが他者と、或いは背景と風景と、余白と混然一体になる手前で、自己を喪失するような感覚

キャンバスに匿名の体を描き、背景と余白の境が混沌とする様子は

声にならない声、言葉にならない言葉、感情にならない感情を絵具の生々しさと筆のタッチで描いた

誰かの多方面からのまなざしが印象派のようなタッチになって画面に飛び散った


他者境界の薄い特質を持った人間がいるとして…

身体と心の内と外、その閾値を超えてしまったらどうなってしまうだろう?

絵を描きながら以上の問いを発見した

ロスト・ペインティング、who am i?と名付けた一連のキャンバスは、この問いがベースにある


自己を喪失する。

これを堀り下げ人の一生を鑑みる

成長と成熟のピークを迎え老いや衰退というゆるやかな下降運動を肯定しよう

白い色をキーカラーに再び白色のキャンバスに戻るような作品

一連の作品を描く過程で、わたしの心に波紋が広がり抱えきれなくなっている

絵を描くということは、わたしのことをどれだけ遠くから見れるか。ということなんだとおもう

どれだけ遠く離れて…


作品=自分という構図


自分と作品の切り離しができない

芯のところでわたしは自分を蔑ろにする

だから作品も蔑ろにしてしまう

作品と自分は別物なんだということ、まだわからないの?

自分で納得するところまで降りて行き、納得するまでモヤモヤを抱える


社会的な評価や目に見える成功、SNSのフォロワー数やいいねの数が自分にとって評価の基準になるのがイヤだった

けれど心のどこかでわたしはそれに固執し執着した

野心的な願望とわたしに合った方法、わたしの特質は違うということ、ようやく折り合いがついた

自分を大きく見せるのではなく、自分のウィークポイントから自分の強みにフォーカスするように

チェンジしようとおもう

根底には自分が納得すること、納得できるか、を忘れずにいたい


今日もおつかれさまでした

明日も安全で素晴らしい日になりますように




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