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作業進捗8:音のないアトリエ

「音のないアトリエ」制作中に音楽を聴かない理由について。現代アーティストMegumiKarasawaの毎日更新するアートブログ。
音楽とアートの親和性が強く求められたのは、主に20世紀初頭、特に抽象絵画の誕生期。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

個展に向けて、毎日アトリエで制作に励んでいます。


時々、「制作中はどんな音楽を聴いているんですか?」と聞かれることがあります。

実は、私は制作中に音楽を聴きません。

今日は、そんな音のないアトリエで、私が何を「聞いて」いるのか、お話ししたいと思います。


音楽とアート


美術史において、音楽とアートは深く結びついてきました。


カンディンスキーが音楽から抽象絵画の着想を得たように、多くの芸術家は音楽の持つ感情の高揚や即興性を、自身の創作に取り込んできました。


以前の私もそうでした。

制作中に音楽を流し、その高揚感に没入することで、我を忘れて描くことに喜びを感じていました。


しかし、ある時から、その「高揚感」に不安を覚えるようになったのです。

描くスイッチになるけれど、どんな精神状態でも安定して制作に向き合いたい。

アップダウンしやすい感情をニュートラルに保つために、何も聞かないことが、今の私には必要になりました。


これは、外部の刺激を意図的に排除し、作品の本質を際立たせようとした、20世紀のミニマリズムや、ジョン・ケージの「沈黙の音楽」にも通じるアプローチなのかもしれません。


私にとって、アトリエと日常を切り離すために、無音状態をつくることが大切になったのです。



文学とアート


音楽を排除したことで、かえって様々な「音」が私を取り巻くようになりました。


筆の穂先がキャンバスを擦る音。

外から聞こえる日常の音。


これらの音は、私にとって、「生きている」証です。

音がないからこそ、他の五感が研ぎ澄まされます。乾いたキャンバスの匂い、指先に伝わるマチエールのざらざらとした感触、そして色彩。

これらは、私の作品の言葉となり、皆さんに届くことを願っています。


現代アートが、感情の直接的な表現から、社会や個人の物語を語るメディアへと変化している今、言葉(文学)とアートの関係性が再び重要視されています。



無言と言葉


私は、アトリエの静寂の中で、作品が自ら語りだすのを待ち、そして、その声を聞き取ろうとしています。


このブログを読んでいる皆さんが、個展の会場で作品を観るとき、五感で何かを感じ、心の中で新たな「音」を聞いていただけたら、それほど嬉しいことはありません。

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