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偉大な芸術が語る「完璧」のその先:ムラと余白に見出す私の表現

更新日:4 日前

『完璧』を手放す勇気:私が見出した「ほどほど」という意味


偉大な過去の芸術作品を観ると、その圧倒的な完成度と美しさに「完璧だな」と息をのむことがあります。 ここで言う完璧さとは、一枚の絵の均整が取れていること、余計な線や色や汚れがないこと、ダイレクトに伝わる力、時間を感じさせない普遍性、そして広がりがあるけれど、どこか完結しているような状態を指します。


「完璧」と「ほどほど」って何だろう?
「完璧」と「ほどほど」って何だろう?

完璧さの奥にあるもの:偉大な芸術家たちの試行錯誤


一見して完璧に見える作品も、その下には無数の試行錯誤と激しい格闘が隠されているはずです。それが最終的に削ぎ落とされたシンプルさへとつながっているのではないかと、私は考えます。

例えばアンリ・マティスの『ルーマニアのブラウス』(A blusa romenは完成に至るまで9カ月、実に12枚の試作が描かれたと言われています。

今、私たちが見ているのは13枚目なのだと。

マティス自身も私の線画は、私の感動の最も純粋な翻訳である。」(My line drawing is the purest translation of my emotion.)と語っています。マティスの考える完璧さとは技術的な精密さだけでなく、画家の内面から湧き出る感動が純粋に表現された結果なのだと教えてくれます。



完璧さというのは、非の打ちどころのない完全無欠な状態を指すのではなく、そうならざるを得なかったという、ある種の必然的な「最後の状態」を指すのではないでしょうか。


試行錯誤と格闘の先に辿り着くその境地には、作品としての美しさ、気品、そしてどこかに色気が宿っていてほしい。完璧さだけがゴールではない。その先にあるものを見ようと、筆を握るのかもしれません。

その先にあるものは、作家ひとりひとりが独自にたどり着く彼岸であり、見たい景色なのだと思います。



未完の美と現実:ピカソが示した「逸脱」の価値


絵を描くといっても、無限に時間をかけられるわけではありません。モチーフへの興味を失ったり、集中力や粘り強さを見いだせなくなったりするのが現実です。そんな時、常に完璧な状態だけを見せる必要はないと、私は考えるようになりました。ムラがあり、時に逸脱し、未完や放棄したように見える作品があってもいいのではないか、と。


マティスのライバルであり良き理解者でもあったパブロ・ピカソには、完成に至らず途中で放棄した作品が多く存在します。マティスは「ピカソは一枚の絵を完成させる前に、あちこちに興味が移ってしまう」という証言を残しています。多作であるピカソの未完の作品に注目することで、彼の画業の奥深さ、そして創作における人間の生々しい営みをより深く理解できるのです。


内的・外的要因に左右されながら、たゆたう仕事のムラや、一貫しないテーマに翻弄される人間の曖昧さや混沌は、完璧という理想的な隙のない状態とはかけ離れているかもしれません。描く本人からすれば、まだまだスキマだらけかもしれないし、後悔が残る状態であるかもしれません。

創作活動は生きることにつながるからこそ、生々しい痕跡が残されているのを見ると、ぞわぞわと背中から腕にかけて痙攣するような感覚や、胸が締め付けられるような切迫感を覚えます。言葉でも音でもない、絵だからこそ伝わる筆圧やカスレや画材のマチエールが状況をまざまざと再現するのです。


あなたにとっての「完璧」とは何でしょうか?Megumi Karasawa Blog
あなたにとっての「完璧」とは何でしょうか?

私の「ほどほど」という美学:究極を目指す、その手前で


完璧な「究極」を目指すというよりは、その究極に至るまでの段階をいくつかに分け、「ほどほど」に肩の力を抜きながら、心地よい「いい按配」を創り出す。これこそが、私が今、模索しているやり方です。


銅板画を学んでいるときに見たアルブレヒト・デューラーの『メランコリアⅠ』(Melencolia I)(1514年)は、当時の私にとって究極の先に掴んだデューラーの理想郷だと思いました。しかし、今この作品をみると、以前ほど熱狂的に感動しないのは、わたしの生活や理想とするものが変化したからです。時代背景も影響しています。


ストイックな状態を続けて縛りを設けて頑張るよりも、自分を大切にし、他者目線ではなく自分を基準に物事と関わること、その中で実感する自然な気持ちを優先する、という流れを私は生きています。


なぜなら生きることは一枚の絵を完璧に仕上げることではなく、一枚一枚を試行錯誤して描いていく積み重ねだからです。今日を完璧に過ごしても明日がやって来る、どうなるか予想不可能な毎日を生きているのです。続いていくものだし、続けていく面白さがあるのです。


私が求める理想と、現実的に今できること。

その間にある「仕上がりの幅」を、私は大切にしたいのです。未完の美、揺らぎの中に見出す感情、そういったものが、見る人の心に「余白」を生み出すのではないかと信じています。


あなたにとっての「完璧」とは何でしょうか? 私の作品を通して、この問いについて考えるきっかけや、日々の「気づき」が生まれることを願っています。

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