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手描きの時間

更新日:1月5日

アウトライン・プロセッサーについて


某日、手描きの時間はどのくらい必要なのだろうか…なんてことを考えた

ブログを書くのはPCでキーボードをパチパチと打ち込んで考えながら書いている

デジタルの時間だ

絵を描くのアナログな作業としてある、わたしはデジタルツールを使って絵を描くことはしていない

知り合いの元・漫画家さんは手描きで描いていた時代からデジタルツールを使って描くフェーズに入った時に漫画を描くのをヤメた、と仰っていた

その話を聞いてあるミュージシャンも音楽がCDとして買えた時代からストリーミングで聞くようになってから音楽業界から身を引いた、という話を思い出した

芸術の世界でアナログからデジタルに移行したからといって絵を描くのをヤメた、という話はわたしの周囲では聞いたことがない

SNS(InstagramやFBのアート作品を投稿しているアカウント)でどこのだれか分からない怪しい外国人が「アナログアートをNFTとして売って欲しい」「買いたい」というメッセージが届くことがあった、あれはたしか3年前の話だ

大概の人が詐欺だと知っているので乗っかる人はいないと思うけど、初めの頃はそんなメールが送られてきて「NFT」とは何ぞや?と調べたものだ、デジタルがアートが流行って仮想通貨で取引きされるようになってもアナログで描く絵画というものは残っている、これは本の世界もそうだと考える

誰彼構わずNFT ARTとして売買のメッセージを送ってくる時期があったけどいまは消えた、わたしの周りでデジタルアートに鞍替えした人はいない、手描きの作品をつくる人がまわりにいる

わたしはアナログ主義ではないけれど、やってることはアナログでそこから離れたことがない

芸術の基本は手に道具を持ってコツコツ積み上げる仕事という認識に縋りついている

ただこうしてブログを書くようになって書くことが面白くなってきて、自分の言いたいことをどう構成したらいいかということも考えるようになった、というのは書きたいこと考えてることをそのまま出すことはできたけど、取りこぼしているものもあるからだ

毎日書いてわかってきたけれど、ここに書く以外にも抱えている問題や抱えている考えがあるにはあるのだけど、それは載らないのだ

それを取りこぼさずに残しておくことだけでもしたいと考えたとき、アウトライン・プロセッサーを使うこと?をしてみたい

といいつつもまだ登録しただけで一行も文字を入力していないのだが…このブログにもメモがあってここに取りこぼす可能性のあるもの、採用されるものがごった混ぜに残せることを知ってメモに入れている、ブログに何が反映するかわからないけれど自分がそのとき引っかかったこと考えのキッカケになったことや気になった動画やテキストを入れている

脈絡ないメモが溜まる、脈絡ないものを積む、これを構成して構築する方法?わからない

人間の思考の迷路に入りたい

わたしは文章を書くときに言い切ることが必要だと考えていた

言い切る。

自分の意見を表明する行為だと思うからだ、ジャッジすることが大事だと考えてたけれどジャッジを手放してみたらジャッジがわたしを縛るものだと気付いたのだ、さらにジャッジしなければ物事や毎日がより細かく粒だって見えてくるのだ、言葉の意味に捉われて見ないようにしているものが多かったのだ

とここまで書いてアウトライン・プロセッサーは一日一日粒だったものを細かく拾えるものとしてのツールになる可能性を感じている、文章を書くのも大枠で書くのでなくどれだけ小さな気付きに気付けるかということなのかなと感じている



1,000枚ではない、1,000時間  手描きの時間を増やしてみたらどうなるか
手描きの時間

芸術とは耕すこと


絵を描く時間、足りてますか?

足りてません全然足りてません、時間をかけてません、時間をかけて取り組んでません

手描きの時間を増やしてみたらどうだろう

絵を描くには何も必要ないということは強みだ、というのは自分がいればいいのだから

それにに気付いていないのは問題だ、とおもうのだ

2003年大学4年生の時だった

友人と話していたときに「〇〇ちゃんにとって芸術って何?」と聞かれた

わたしは「耕すこと」とこたえた

自分のこたえを今も覚えているのはこの言葉の意味がどうして出てきたにかわからず、だからこそ印象に残っているのだ

「耕す」ことを英語で「cultivate(カルティベイト)」という

「cultivation」は「耕作」「栽培」「養殖」「培養」などの意味の名詞

「culture(カルチャー)」は、どちらもラテン語の「colore(コロレ)」に由来する言葉で、「耕す」と「文化」という異なる意味を持つ

こうしてみるとその当時のわたしにとって「芸術とは耕すこと」というこたえはここにつながる

芸術は耕すこと

次に進むには芸術は何を耕すか

そのとき絵を描く時間を耕すこと。と仮定する


文章を書くのも大枠で書くのでなくどれだけ小さな気付きに気付けるかということなのか
どれだけ小さな気付きに気付けるか

「手描きの時間」を読んでくれてありがとうございます


新年が明けてわたしの意識は変わり始めている、絵を描くことやブログを書くことに対してコソコソ隠れてするようなことではないということなのだった

わたしがこれをするのは誰かに頼まれたわけでもないし求められたわけでない、これをどう捉えるかだけどこれが重要なポイントだとおもう

誰からも求められていないことを自分で見つけて自分の時間を使ってしている

誰からも頼まれていないことをしている

これは悲しいことだろうか、楽しいことだろうか、寂しいことだろうか、ゆたかなことだろうか

言葉によって印象が変わる、わたしはここにジャッジを含めて書いていない

わたしがそれをするのはそれをしたいからで、その先に何があるかわからないからやってみるというだけのこと

毎日書くことをしてみたかった、だからブログを動かした

手描きの時間を増やしたい、だから1,000時間やってみる

シンプルなことを試せる時間がある、時間をどう使うかを自分で決めることができる

このことを人生で持つ時間はゆたか。と言える

今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい一日になりますように



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