東京都美術館「田中一村展」
某日、東京都美術館で開催中の「田中一村」展を観に行きました
田中一村は女子美短大生の時に授業で「日曜美術館」を観て知り千葉市美術館に実物を観に行った記憶があります
それ以来、二十数年振りに名前を聞きテレビで特集されたこともあって人となりに興味を持ち作品を観に行きました
平日午前中にも関わらずチケット売り場には行列ができていて、会場入り口にも行列…中に入ってもまた人人人…溢れんばかりの人に面食らいながら上の階に上がれば上がる程、人の数が増えている…ううう人酔いしてきた
最終展示場では椅子に座ってゆっくり息を吐く、少し頭痛もある、こんなに混んでいるとは思わなかった…ぐったり…テレビの影響で来場者数が増えていると聞いていたけれど、実際に行ってみると去年の「マティス展」ぐらい会場内は混雑していたいやそれ以上かも知れないな
とかくこんなに混んでる展覧会は久しぶりでした
20世紀美術
会場には一村5歳から晩年の69歳まで250点以上の作品が出展されています
この量も密度も圧倒的で会場を出るときにはなんだかとても疲れてしまいました
作品一点一点の密度と完璧さ、ぎゅっと詰まっていて隙がなく入魂の気合いの入れようは胸が苦しくなるほどの熱量があり、その熱量に心身が一度も緊張を解かれないような感じ?こちらに迫って来る情熱が受け止められないとギブアップしたい気持ちになってしまった(すみません、こんな感想は失礼極まりないのですが)
余白や空白も残している絵もありましたが、描かれていない箇所にも濃密な空気の重さと密度がありどれも詰まっていて「抜け」がなく充満しているのです
こんな濃密度の日本画を一度にたくさん観る機会もないから体が驚いています…
田中一村は69歳の生涯を生きました
1908年(明治41年)生まれ、この年に生まれた画家を調べたらマリア・プリマチェンコ(Maria Prymachenko 1908 年12月30日ー1977年8月18日)、バルテュス(Balthus, 1908年2月29日ー2001年2月18日)、平澤熊一(ひらさわ くまいち、1908年ー1989年)、東山魁夷(ひがしやま かいい、1908年7月8日ー1999年5月6日)がいました
マリア・プリマチェンコはウクライナの素朴派の民族装飾芸術家、作品を見るとカラフルでポップな色使いと動物や子どもの飾らない姿を屈託ない筆使いで描いていています、幻想的で生き生きしたと人間や動物の気取りのない明るさや解放的な姿はウクライナの平和と希望の光を託す反戦の強いメッセージ性に溢れているのが特徴です
この素朴さはアンリ・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau、1844年5月21日ー1910年9月2日)にも通じるものがあります
一村の「奄美時代」の画風も素朴派に近づいたような表現になっていました
技量と描写はピカイチで決して素朴でプリミティブな要素はないけれど、それを通り越すと画がペッタリしてグラフィックアートのような二次元的な印象を与えました
エキゾチックな植物や熱帯雨林のような情景、原色の生々しい色使いはアンリ・ルソーの絵画を彷彿とさせます
絵の上手さ、器用さが突き抜けると素朴派やプリミティブの系列に連なることを確認したようで興味深かったです、またモチーフがエキゾチックになるとアンリ・ルソーを想起させるので、ルソーの刷り込みって影響大ですね
一村が突き詰めた「本道」が同じ年に生まれたマリア・プリマチェンコの絵やアンリ・ルソーの「素朴派」「プリミティブ」に収斂していくような連なりを見いだしたのは今回の展覧会が初めてでした
一村が西洋絵画の影響を受けたという研究はありませんが、もし20世紀西洋絵画の潮流を知っていたら日本画でそれをどのように展開しだろうか、一村のもつ超絶技巧がどのような科学反応を起こしただろうか、彼の表現を根底から崩すような破壊的な衝撃をもたらしただろうか
そんな興味と問いがうまれました
日本画そのものから逸脱することはなくあくまでそこに留まりながら、大胆さと技量を持ち現代感覚のある一村だからこそ、その視界を海の向こうに拡げていたらどんな絵を描いたでしょうか
それは物理的に国内を移動して新たな場所で見出す環境の変化からくる画風の変化とは異なり、想像で世界とつながりシンパシーを感じながら距離と時間を超越し旅するように描くことができたら?という問いでもあります
20世紀西洋絵画は
♦ドイツ表現主義(19世紀末~20世紀初頭)
♦フォービズム(1905年ー1910年)
♦キュビズム(1907年ー1917年)
♦エコール・ド・パリ(1904年ー1924年)
♦未来派(1910年ー1920年代)
♦抽象主義(1910年から現在)
と激動の時代を経ています
一村の生涯は上記の世界の潮流とリンクします
世界に目を向けて作品を相対的に制作する可能性について考えることのできた展覧会でした
「美術館に出掛ける」を読んでくれてありがとうございます
西洋美術館では「モネ 睡蓮のとき」、国立博物館では「Hello Kitty」、トビカンでは「田中一村」
上野は今長蛇の列ができる展覧会だらけ
こんなに美術館が混む必要あるかしら…一村展を観ながら美術館での絵の鑑賞の仕方にふと疑問を抱いた、絵を立派な箱(美術館)に入れて照明を当てて一点一点壁面に掛けて、それを大勢の人が観に来て頭と頭が重なってよく見えなくて注意と誘導されながら先を急かされて観るスタイルに限界を感じた
「観る」ってこういうことじゃないよな、この違和はなんなんだろう…
美術館に自分の感覚とのズレを感じてね
観に行ったからこそ違和を掴むことができた…実際に行動して感じたことはどんなことでも覚えておこう
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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