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自分に許す言葉

更新日:4月27日

受援力


体調が崩れ思考も下降気味、外出も控え塞ぎがちになっていた

激しい頭痛、身体の怠さと重さに加え無気力、無関心に傾き、すきなことからも背を向けた

数日間、底辺を生き延びてようやく日常生活に復帰した

日常という地上に浮上したのだった

朝のウォーキングを再開し、家事をし、ちゃんとご飯をつくった

ご飯をちゃんと作り、ちゃんと食べた

それができれば回復したと同然、ごはん作りと運動は人間の元気のバロメーターだ

気力と体力を取り戻したいま数日間の出来事が終わりの見えない闇のようだった


身体の不調は避けられない

気を付けても落ち度があってもなくても、やってくる

そういうとき、もしものときがあったとき、わたしは誰かに助けて。と声を出し伝えられるだろうか

助けてください、いま苦しいんです。と言えるだろうか



助けを求め、助けを受け止める


日本に生まれ中流家庭で育ち、ほとんど不自由なく育った

両親の教育はいま振り返ると厳しくしっかりしていた

甘えたりせず、人に頼らず、できないことをできるまでやる。

というのは両親の教育云々ではなく時代背景や当時の社会的価値観や学校教育に則ったものである

それが自分の性格や思想にも影響しないわけがない

人に頼ったり、助けてください、と自分の意見を素直に言うことができない子どもだった

いや言ってはいけない風土であった

人に迷惑をかけてはいけない

心配させてはいけない

潔癖なくらい固い考えを持っていた


自然災害の多い国、震災が多く発生する日本では二〇一一年の東日本大震災以降、災害時にボランティアなどを地域で受け入れる体制や知恵を活用する力を「受援力」と呼んだ

内閣府が防災ボランティアの受け入れのためのキーワードとして紹介したものだ

現在では災害時だけでなく日常生活や職場で困ったときに周りに助けてもらい支援を受け入れる力として用いられている※受援力 AIによる概要


人に頼らない

助けてもらわず自分のことは自分でする

限界まで我慢する

そのような価値形成をした者からすると受援力は正反対の力学で、時代の変化に追いつかない

困っている人に手を差し伸べることは学んだ

自分が助けてください。と言うことは残念ながら学んだことはない

他者に助けを求め、助けを受け止めることは同じ

どちらもいまの時代に求めていい能力



頭痛を通して


毎月のように起きる頭痛のことを記事にしてきた

痛みをどう乗り越えたか。と書いてきた

今回、頭痛を通して別の角度にフォーカスし受援力というキーワードをテーマにすることができた

どうしても一人では無理なとき誰かに助けてください、と言えることを「受援力」と言う

痛みや苦しみを一人で抱えずに他者に頼っていいのだ、ということを記事にすることができた


自分がSOSを出すことによって、誰かの声も聴こえるようになる

人に助けてもらった分は感謝と恩返しする

同じように助けを求める人をサポートする

交互に入れ替わるように誰かは誰かを助け、助けられている

助けを求めることは悪いことではない、わがままでも、恥でもない

受援力をキーワードに今の時代だから必要な心構え、スキルを知ることになった

ブログに記すことができてうれしい


今日もおつかれさまでした

明日も安全な一日になりますように




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