作業進捗2:制作と差延
- Megumi Karasawa
- 8月19日
- 読了時間: 3分

前回のブログで、私はグレイ=灰色という色との新しい旅に出たことをお話ししました。
今日はそのグレイが、私自身の「弱さ」や「苦手なこと」を映し出したことについて、もう少し深く考えてみたいと思います。
灰色と「未完成」
前回、私は「まなざしと差異」という漠然としたイメージをリセットするために灰色を使い始めたことをお話ししました。この色は、すべてをニュートラルに戻す、一時停止という状態を示す色でした。
実際に作品と向き合い、灰色を重ねていくうちに、私はあることに気づきました。
それは、私が自分の手の内に収まる表現で作品を完結させてしまっている、ということです。
こうした、ある種の既視感は、テリトリーの範囲で済ませる表現が、時間経過後に別の形で現れることを示唆しています。現代美術においては「完成」が至上ではなく、制作のプロセスや、未完成な状態そのものが持つエネルギーや生々しさに価値が見出されます。
灰色は、その未完成で過渡的な状態を象徴する色として機能します。作品の裏側にある、作家の迷いや葛藤、そして未だ定まらない状態そのものを可視化しているのです。
「まなざしと差延」:灰色がもたらす意味の変容
私の個展のテーマは「まなざしと差異」でした。しかしタイトルは「まなざしと差延」になるかもしれません。
差延(différance)とは、フランスの哲学者、ジャック・デリダが提唱した概念で、意味が確定せず、常に後へと延期され、ずれが生じることを指します。
灰という色は、私にとって、線や色彩が持つ意味を一時的に保留し、固定された意味から解放する作用を持ちます。私の線描や濁った色は、鑑賞者の「まなざし」に、一つの確定した意味を読み取るのではなく、解釈の「差異」を体験させることになるでしょう。
それは、ジュルジョ・モランディやゲアハルト・リヒターが探求した物質性や客観性の先にある、より個人的で、そして多層的な意味の探求です。
制作と内省
作品の「弱点」は、作家の「弱点」にもなります。
しかし、その弱さがどこにあるのか認識する目を持つと、今の自分に必要なことと、足りないことに目が向きます。それは刺激となり、わたしにとり作品に向かう動機になります。
そして、このブログでテキストにして考察する行為が、創作の深化に繋がります。
灰という色が、私の内省の扉を開き、作品だけでなく、作家としての私自身を成長させているのです。
灰色は、一時停止し、今の状況を判断することや、一旦保留にすることを求めます。
私の「苦手なこと」は、欠点ではなく、作品をより行き届いたもの、そして唯一無二のものにするための大切な要素なのかもしれません。
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