透明な境界線
10日前から気分が下がってしまい憂鬱を引きづりながらなんとか毎日を生産的に過ごしたいとできることから始めています、それがこのブログを書くことです、毎日書くことを目標にしています
数日間「「毎日書く、書く、書く、書く」と唱えて文字を打って忘れないよう体に覚えさせています
そうすることで自分の中に溜まって淀んでしまうものを外へ解放しています、何かをしていないと何かに吞み込まれてしまいそうになるからです、以前だったら無理せずに寝てしまうか手を止めて何もしないことを選んだけれど、そうすると罪悪感でいっぱになって余計引きずり休息にならないんですね、違う方法を模索していたとき「日課」をつくることがいいと知りました、同じ著者の本で何度となく書かれていたので実践しています
調子がよくなったかどうかはわからいけれど、手を止めるより体を動かしていたほうが自分の状態に合う適切な「なにか」を自力で見つけるパワーを持てることに気付きました、「気づく」ことができるのは行動の証としてとてもいいです
今日見つけた「気付き」は自分は他者との距離が近くなりすぎてしまい、自他境界が薄く他者に侵入しすぎてしまうきらいがあります
自分のこと置いておき、他者の気持ちやその人生に深くコミットしてしまい自分を見失ってしまう、時には犠牲にしてしまうこともあります、これがいい面のときは「感受性が豊か、感性がステキ、共感能力が高い、優しい」といった言葉を掛けられることがありますが、行き過ぎてしまうと自分を見失ってしまって取り込まれてしまうことがあるのです
他者の言動に「噓でしょ?」というくらい影響されます
そのとき優柔不断で曖昧な面も出てきて引き際が悪く、いつまでも未練が残り先に進めない…といったことを経験してきました
パッと切り替えてサッと忘れてサクッと次に進める潔い人を見るとそうなりたいとジメジメしてしまうのです
そんな面が強く出てしまう日は絵を描いているときも集中できないし手元に神経が届かず、落とす、汚すといったことを何度もします、この状態がイヤだしずっと付き合ってきた症状なのでなんとかしたいとやり方を変えてみました
ここ数日書いてきた「やってみたかかったことをやる」計画もその治療のひとつで自分を見失ったときに効く拠り所としていくつか提案をして実行しています
やりたかったことのひとつに「ひとり出版社」があります、これは手作りの新聞?お便り?通信?を書きたくて始めました
手描きで書いて月2回発行します(という体で下書きを開始しました)その新聞のコンセプトは「友人に手紙を書くように少しの絵と少しの文字と、すきまだらけのお便りをお届けします」としました
手描きの文字はその言葉で人を慰め、労りながら寛容になる自分に気付きました
特定の友人の顔を想定していたのにどんどん「わたし」に向けた内容になっていき気分が下がったときにどんなことをしていたか、何がきっかけとなってそれを乗り越えたか、どんな言葉に救われたか…はっとしたこと、忘れたくないことをそこに詰め込んでいたのです
明日もう一度見直してトピックのひとつに加えようとおもった大切なことはマウントを取らず、嫉妬に駆られず、他者を責めずその人と同じ感情になり一緒に喜んだり祝ったりしよう。ということでした、これは共感力の高いわたしには難なくできることです、そちら側に加わることで自分も同じ体験をしたと思い、いい気分いい達成を共有するというものです
他者のいい経験は共有し一緒に喜ぶ、それ以外は透明な境界線を引く…負のエネルギーに振り回されなくて済みます…他者との境界が曖昧で時々それを越えてしんどくなってしまうときは大抵悲しみや辛さ、嫌な気分も共感してしまうことにあります
そこに透明な境界線を引くイメージをするだけで自分と相手を分かつことができます
断絶ではなく守りであり配慮ある行為だとするとそこに罪悪感はありません
相手との距離が掴めなくなってしまうときは透明な境界線を引いてみたら楽になるよと付け加えよう
最後の40分間は動かさない
絵を描いています
一日1枚は完成する小さい絵に取組んでいます、同じ大きさで時間も決めて描いています
面白いもので日によって時間が伸びたり縮んたり、その質は体感で毎日違うのです
今日は時間が長く感じて…といっても頭の中でいろんなことが駆け巡って集中できない日になりました
昨日の夕方過ぎからソワソワしてしまって落ち着かなかったので持ち越して…集中できてもなくても放棄せず絵筆を握ります
ここ数日と同じような手順で描かずに抜け出せ!という感じが絵から伝わってきました
手を動かさずにそのままの状態で置いておく、一度離れる時間を持ってからフィニッシュするということをしてみました
最後の40分間、しようとおもえば微調整や細かな修正もできただろうけれど置いておきました
為さない
決められた時間でどんなパフォーマンスをするかという実験であり、違うやり方を見つけることでした
「時間」という枠内でどんな動き、どんな遊びを入れて充実したものにするか、面白くするか、バランスを見つけるか、心地良くするか、作品にするかという視点をもちました
つまり時間も白い紙と一緒でそのサイズ内にどんな絵を描くかと同じではないか?と捉えたのです
最後の40分間、余白として残しバランスを取ったということです、「時間」が絵という形で視覚化されたのでした
おやつを買わない日
某日、友人からDMが届きました
岡山の茶房&ギャラリーで二人展を開催するという案内状
わたしの周りには3人陶芸をしている人たちがいます
気付けば3人もいるなんて、出合いは素晴らしくゆるやかです
器を作っている知人、陶芸と銅版画をしています
もうひとりは器を作らない陶芸家です
わたしも陶芸をしたことがあります、友人に教えてもらい手びねりとろくろで器をつくり絵付けもしました、粘土をこねて形をつくる一連の作業、これがうまくできるには時間が必要だなと実感しました
この作業が熟練しないといい作品がつくれない、基礎が最も重要なのはどこの分野でも一緒です
絵付けも同じく…描いたものが釉薬と窯入れで化学反応を起こした後どのようなものができるかをある程度予想しながらつくる工程には面白さもありつつ経験が必要でした
陶芸はその最終形態を予想しながらつくります
予想外のことも予想に入れながら計算して作るものでした
昨日と今日は休憩におやつを手作りしています
器も手作りの誰かが作ったものだったらお茶の時間が愛おしくなるだろうな、友人のDMをみながら想いを馳せます
リンゴをたくさんもらったので「りんごのさっぱり煮」をつくりました、歯ごたえのあるシャキシャキしたりんごでつくると美味しいです、今回は青い「ぐんま名月」を使いました
ぐんま名月はそのまま食べてもホントに美味しくて大好きなりんごです、触感と甘さが気に入っています、なのでその触感を生かしてあたたかいおやつをつくります
りんごのさっぱり煮
1.りんご3個をくし切りにし、てんさい糖大さじ3とレモン汁をいれて軽く煮る
2.煮汁が出てきて形が崩れない程度にやわらかくなったら火からおろす
3.そのまま熱々を食べてもいいし冷蔵後で冷やしても美味しい、食べるときはシナモンを振ると風味が豊かに!
これだけで深い味わいのりんごに早変わり、シロップはとろりと濃厚です
季節の果物を温めて、器にもこだわるお茶の時間を想像すると心がじんわりします
眼をとじてその時間を味わいます
「40分間の余白」を読んでくれてありがとうございます
一日のスケジュール、どんな時間割がいいか、いい塩梅を毎日試しています
どこの時間帯に何をしたらいいか、スムーズかということを試して試して試して…最後にここだというところがあるはずです
一日を無駄にはしたくない、すきなことだけしていたい…その二つを叶えることが自分の心身にとって健康を保つことになります
どんな日も同じ日はないし、今度いつ何が襲うかわからない、急な体調不調に怯えることメンタルダメージを極力少なく、短くするにはどうする?ということを見つけています
見つけることは小さなことにいちいち「気付いて」いくことなのかもしれません、それはささいなことだけどすぐに忘れるからいちいち記してたくさんの提案を溜めようとおもいます
これはひとり出版社のお役目です
今日も一日おつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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