助走
- Megumi Karasawa
- 4月12日
- 読了時間: 3分
絵を大胆にする発想
絵が大胆になれば、自分自身も大胆になれるだろうか
絵が飛躍すれば、自分自身も飛躍するだろうか
ポートレートを描いて二日目
クロッキーではなくドローイングしている
(クロッキーとドローイングの違いについて書いた記事→「クロッキー事始め」)
顔面を色んな角度からデフォルメして描いている
キュビズムの多面的な視点は面白いことに気付かせてくれた
アカデミックに写実的に描いたときよりも人間の複雑さや多様な側面が顕しやすいということだ
キュビズムの手法は新しいものではないけれど、実際自分が描いてみると発見が多かった
描きながら、考える
描きながら、発見する
自分がやってみることに越したことはない
描いて気付いたことがもうひとつ
わたしには絵を大胆にする発想が薄いということだ
特にポートレートは人の顔を扱うために描かれた人はデリケートでナーバスになりやすい
他者にとっては美徳(美)と映る特徴も本人にとってはコンプレックスだったりする
顔の特徴を誇張して描くことはアートだから許されるのか
本人が許せないとおもう範囲や境界を踏み越えて描く先に、ポートレートにどんなメッセージを込めているか問われる
アートである以前にお互いの了解を前提とした関係があるかないか、で絵の内容が変わる?だろうか
その一方でアカデミックに写実的にうまくまとめる絵よりその人にしか描けない絵を描きたい
無難に描くこととは別に大胆な飛躍を目指して助走する
大胆で飛躍した絵は、わたしが抱くポートレート(肖像)に対する懸念からはじまっている
描く人間が大胆になれば、絵は大胆になるのか
描く人間が飛躍すれば、絵は飛躍するのか
助走のようにドローイングを繰り返す
「助走」を読んでくれてありがとうございます
内容の濃い一週間
一日一日が真剣で、気を張って気丈に過ごした五日間となった
春バテと心労でダウンした日があったけれど立て直すことができた
ウォーキングとバドミントンの素振り。のお陰かもしれない
朝一番の運動がわたしを救ってくれたようにおもう
朝、四十分歩いている
体と心を軽く掃除したような気持ちの良さがあり自分を立て直したような気分になる
絵を描くことや事務作業、文章を書いたり本を読むことは楽しくて思索的だけれど、煮詰まると発酵し、心身が濁ってくる(ような感覚になる)
程よく冷めた距離を持っているほうが広く遠く見渡せて気付けないことに気付くことができる
そのために一度身体を外に連れ出すのだ、歩くのだ
歩くと今しがた抱えた問題から離れ、自分を自分の中心に戻す時間になる
運動は運が動くと書くことから、自分で動いて運を動かすことにつながる
モヤモヤしたものを外へ発散する出口として運動は欠かせない要素となっている
今週もおつかれさまでした
明日も素晴らしい日になりますように
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