呆然
- Megumi Karasawa
- 1月10日
- 読了時間: 4分
思いつき
特に深く考えているわけでもないのに、考えているような気になっていた
思考という言葉を使っていたけれど訂正しないとならない
思いつき。ただたんに思いついただけ
それを思考と勘違いしていた
毎日書きながら毎日書くことは楽しくなっている、どんなことでもいい、時間を決めてPC前に座ってキーボードを打つ、パチパチパチと小気味よい音が途切れないように何かしたためているいるような気になる、何かを書いている気になる、こういうときは気分が大事だ、進むためには止めないで書く
書かないと始まらない、書かないと始まらない、書きながら考えればいい、でも何を?
特に深く考えているわけではないと感じたのは、浮き上がってくる考えが面白くもなくつまらなくもなく停滞しているからだった
考えが停滞するのは、これまで自分の考えの元になっていたものが突然古い色あせた10年以上前のジーパンのような、20年前のセーターのような思考だったからだ
箪笥の中でいつまでも捨てられずにかかっているうっすら埃をかぶった黒いダウンコートみたいなものだからだ、中身の人間はいくらか変化して…体形も雰囲気も若さから老いへと変化して、それに沿ったものを着て中身と外をフィットさせバランスを取り世界を生きるのだ、時代が変わる
わたしは20年前以上前の洋服を着て今の自分に合わせている、思考がアップデートされずに、思考とおもっていたものは思いつき。だと知らずに…
停滞するに越したことない、もうとっくに2020年代に入っているというのに諦められないものを背負っている、悪い癖から脱せない
思いつきからレベルが上がらない自分を知る、某日そのことに呆然としたのだった
大学3年生のときクラスを3つのグループに分けてそれぞれのグループに一人先生が付き課題を出す授業があった
わたしは自分以外のグループに出された課題のひとつ「毎日自分の顔を観察する」というものが面白く感じて、最終日そのグループの講評会に参加した
毎日粘土で自刻像を作った同級生がいた(像は5体~くらいあったと記憶している)
先生がその像を見て「ほんとうによく見て作ったか?こんなに変化するのか?」とやんわりと疑問を投げかけた、その塑像はやりすぎでは?とおもう明らかな変化がひとつひとつの像に顕れていた
この課題、時々思い出すのだ
どうしてこんなに覚えているのだろう…毎日自分の顔を見る。というシンプルなことの中にあるもの
「つくる」ことを前提に顔をみれば「つくる」ために何らかの「変化」を探してしまうのではないだろうか
プライミング効果のように毎日違うものが現れるはずだ。という先行思考(刺激)が入ることなしにつくることを形成する基準を持ちたいという意識を捨てている
顔面の表情の変化
それを顕す以外に、どんなことを像に刻み彫ることができただろうか…ゆっくりと微細に動き変化するものがあると解っているとしたら…?
表情ではなく生命を維持するための基本的な運動、基本的な循環、内部で起きていること、このことは表面に顕れるかどうか、一秒一秒をデッサンしたジャコメッティしか思いつかない
一日一日同じ日はないというところまでは解かった
ダイナミックな運動なしに微細に動き変化し続けるものを捉えて「つくる」ときつながりも脈絡もない動きを止めないものをつくれるか、生命維持の動き、動き、動き

「呆然」を読んでくれてありがとうございます
昔のことを思い出す日になった
PCを開くまで何を書いたらいいかわからなくて話題に困った、固まった、頭が回らない
無理に手を動かしてキーボードをぽちぽち打つうちに文字が現れて書いたのは昔のこと
昔のことを思い出す、学生のときの自分、校舎、アトリエ、同級生
書くはずではなかったことが出て来て驚いている、フリーライティングの面白いところ
けれど偶然ではない、今日読んだ本の「あとがき」にシンパシーを感じて引きずったのだ
今週もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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