隠したいもの/見せたくないもの
この記事でブログ98件目になりました
11月1日から始めた「毎日書く」ことを目標としたブログは一か月続けられました
小さなことだけど大きな達成です
30日間書きました
中盤はやはりメンタルが崩れて以前なら書かないでいたことも敢えて書きました
「人が隠したいものや見せたくないものほど出したほうがいい。」
ということをある人たちが言っているのを聞いて「フーンそれなら…」と思い切って書きました
それについてわたし自身も同じことを感じていたからです
最初に誤解のないように言うと「人が隠したいものや見せたくないもの」は個人的に抱えている秘密や悩みのことではありません、パーソナルなものを指していません
この場合それは、失敗したとおもうようなドローイング、人に見せられないようなまずい作品、ボツにしたテキストなどの「表現物」のことを指します
本人が意志を持ってそれらを隠さず見せることが見るものにとってなんらかの感情を伝えます
本など表現された媒体で、著者が書いていないことや敢えて話題にしていないことが一番知りたいことだったりします
つまり知りたいことは書かれない。という事実があるのです
ブログ98件目
ブログは自分との対話、自分の声を聞くということのはじまりです
自分が自分の声を聴き自分の姿をよく見るには、ひとりになる時間を持たないとできません…その効果は「毎日書く」とわかるものです
誰かが同じように毎日続けて書いていたら、その人はどんな外的環境に影響を受けても、自分の気分や感情に振り回されても自分を自分の中心に戻してから眠るでしょう
自分の声を聞くには、物理的・心理的に多くのものからできるだけ離れて心の安全領域・感覚閾値を守り一日のうち一度でも「中心に戻す」時間を設けているものです
これを千葉雅也氏の著作「動きすぎてはいけない」(動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』河出書房新社、2013年)という本の中で「接続過剰」と「非意味的切断」いう言葉で表さしています
この著作はドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925年1月18日 - 1995年11月4日)の研究者としての視点と氏が自分自身の戒め?として書いた本だと仰っていました(思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集
青土社 2018年)
毎日書いてみて書かずに一日を終えられないという感覚になっています
ふらふらと漂い行き場をうしなった爆弾のような感情と気分を元の位置に戻す時間
文字を打つことに集中して自分しか見えないという状態、自分が見ているものしか見ていないという状態を作ります、きっちりと時間を決めて管理し身体に覚えさせました
誰に頼まれた訳でも誰に求められてるわけでもないことをしています
自分が「やりたい」とおもうことをしています
したいことをするためには、しないことをすることと同じでした
忙しくても疲れていても気分や感情のムラに左右されても体調が崩れても休みなく続けます
こうして毎日「信頼できる自分」をつくっているのです
書くたびに肩の力が抜けてひとつに集中していきます
「自己信頼」を読んでくれてありがとうございます
こうして時間を設けて自分の感情や思索に目を向けると何に怯えて何に恐怖を感じ何に不安を抱いているかを追えます、その感情がフィジカルにも影響があって関連があることもわかってきました
自分に対して「いい状態」「わるい状態」という区分/ジャッヂは無効になりました
というの毎日同じ日はなく特別な日が積み重なっていると知ったら、感情や気分・思索や体調が不安定で揺れて動くのは当然だからです、むしろ自然なことだったんですよね
自然なことを不自然さに合わせようとしたから齟齬があったのです
毎秒目まぐるしく変化をして「いい」も「わるい」はないということを発見しました
ジャッヂしないだけでニュートラルでいられます
イライラや嫉妬や文句を言ったり無性に怒ったり苛立ちを抱えたりという内的衝動を抑えてくれます
自分の中心に自分がいるので惑わされません…それは幼少の頃していたことでした、絵を描くことは自己信頼を兼ねていたんじゃないかな
自分を疑って肝心なところで自分を放棄したり信頼できずに必ず失敗するんではないかという最後の最後で疑心暗鬼する気持ちを抱えていた日々はすぐそこにあります、いまも隣合わせです
自分が自分を信頼することについて想いを巡らせた日になりました
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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