写経としての銅版画からみえたこと
某日、17日振りに再開したペン画
以前のブログで「やりたかったことをやる」リストを作って実行しています
その中に「手描きの新聞」をつくるというものがありました
新聞の内容は一か月の間に印象的だった出来事を三つくらい小さな記事にまとめてエングレーヴィング的な絵を全面に描くというもの
8年以上前…もしかしたら10年経っているかもしれないけれど「銅版画」を習いに工房に通っていました
銅版画の技法のなかで一番性に合ったのが「エングレーヴィング」でした
エングレーヴィングはビュランという彫刻刀一本でほとんど総ての可視化した物理的なモチーフを描くことができます
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)はエングレーヴィングでその頂点に君臨しています、デューラーの技術の高さはさることながらその繊細さ、細やかさ、なめらかさと硬さの使い分け、遠近の出しかた、モチーフの広さと粘着質・執着心・忍耐力などの気質も群を抜いています
エングレーヴィングは通常の銅版画より0.1~0.2mmくらい厚めのものをつかうといいと聞いたことがあります、というのは銅版は鉱物で硬いイメージがありますがやわらかく加工しやすい金属です
なのでビュランのよく研いだ刃先があればそーぅっと堀り進められます
その線に深みと強さを出そうと思ったら銅板をより深く彫ることが求められます
このとき薄い銅板より厚みのある銅板を彫るほうが線がしっかり出ます
力をいれて金属に向かって鋼を突きつけモチーフを彫り出していくのがエングレーヴィングの醍醐味
線の深さと機械的で神経質なくらいの均一さ、緊迫感のある鋼鉄な線は完成に響きます
この線はエッチングでは出せません
腐食した線とも異なる独特の金属的な輝きのある線です
エッチングは腐食時間と腐食液によって線の深さや太さが表現できますが、その役割を自分の腕一本で描き分けるというストイックさがとても魅力的な技法です
エングレーヴィングの特徴であるクロスハッチングを使って手描きの新聞をつくり始めました
それから17日が経ってしまいました
某日、再開し思いのほか集中できました
細かくて小さな線をたくさん描いていく単純といえば単純な制作
モチーフはパターンがほぼ決まっているので一度覚えるとスムーズにペンを走らせることができます
以前これは「写経」のようだと書きました
心がソワソワして落ち着かないとき、心配事に支配されて身動き取れないとき、絵を描くことが正直しんどくなってしまうとき、ペン画は「無」中になってできる制作です
この発見は大きかったですね
ひとつに執着して行き詰ってしまったとき別の方法によって脱却できるという意味があります
少なくとも2つ以上の制作分野を持っておき、それを順繰りに試すと自分も作品もうまく廻るんですね
ひとつをずっとし続けていると循環せずどうしても詰まって停滞することがありますから
その日の気分や感覚に任せて「いま何ができて何ができない状態か」を診察しその日の制作を決めます
制作に自分を合わせるのではなく、自分に制作を合せます
簡単にいうと「その日したいことをする」。
制作はもっと自分に近いもので自分と同体であっていいのです
捉えどころない揺らぎある人間の状態を無視しないように感覚に従えばいいのです
どんどん荷物を下してシンプルになります
毎日という幻想
こうして毎日書いて見えてきたのは毎日同じ日は一日もないということです
頭では分かっていたけれど、こんなに毎日変化と起伏に富んでいて揺らいで動いているものだなんて知りませんでした
毎日ほど刺激あるものはありません
以前であれば毎日同じことばかりしていてつまらないと感じていました
ルーティーンを繰り返すだけで退屈さありました
これは大きな間違で多くの人は誤解をいていることなんじゃないかな
こうして毎日ブログを書いていても同じ投稿にならないし昨日と同じことを考えてはいないのです
毎日の出来事は変わらないのに自分自身は毎日違うのです
明日の自分さえ予想できないし明日何を書くかも想像できない、明日何が起きるかわからないし明日何を感じるかわからない
だから毎日同じ日ではないんです
同じように見えても常に違うことを感じています
一見するとなにもないような毎日
それでも身体の器官が生命維持のために毎秒動いてやまないのと同じように感情や気分、感覚や思索も毎秒動いてやみません
それがわかったとき、気分や感情のムラによって制作が安定しないという悩みは悩みではないと捉え直しができるのです
つまり気分や感情のムラによってわたしは生きているので、それにあわせてその日の制作分野を選んでつくればいいということです
制作する分野を3つはもってそれをサイクルしていくといいです
毎日が揺らぎブレて動き続けているから毎日を変えたくない、毎日でありたい
特別な何かを求めなくてもこうして特別なことばかり起きる日々
どこかに置き忘れた自分の丁寧なもののみかたや足元を見ずに上ばかり見すぎていたことに気付きます西日が差して15世紀の銅版画に描かれた紋章のような模様をした幼稚園の門がレンガに反射し美しい影を見つけることだってできるのです
こんなにいろんな感情や感覚を持ちながら生きています
無視して忘れて何も覚えていないという状態で一日を終えるのはもったいない
自分が目に見えないものを忘却していくことの雑さに唖然としました
毎日消えてしまうので追いかけています
「毎日という幻想」を読んでくれてありあがとうございます
今日の読書は千葉雅也氏の対談集でした
いとうせいこう氏と対談した回が特に興味深く共感しました
仰っている内容がよく理解できたのは自分が経験したことを思い出したからです、響きました
一日の最後、毎日書いて自分を自分の中心に戻しています
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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