食事を指揮する
小さな紙にドローイングをしています
某日、手が慣れてきたので枚数をプラスすることにした
ブログのように「毎日書く」ことを目標にし日課として始めたもの
11月1日から本格的に始め毎日10枚描いています
グアッシュ・水彩・インク・スタンプ・鉛筆などそこら辺にある身近なものを使ってその日の気分に任せて手を動かします
テーマもモチーフもありません…いや正確には目的がありました、キャンバスの準備のためのドローイングという位置付けで始めました、続けるうちにその日その日で違っていいとおもうようになりました
そもそも本作の準備のための下描きとしたら毎日続けられたかどうか
作品はいつも本番だしどんな紙に書いても、サイズであっても本作も習作も区分しない…というのがわたしの認識
毎日10枚と決めたのはどんなことがあっても最低限続けられる(であろう)枚数だ
この枚数に新たに10枚プラスして最低限を底上げしました
これも日々の積み重ねによるものです
手が勝手に動くに任せて、悩むとか止まるといったことはまったくありません
この「手」の状態をブログは目指しています、書くことはまだ自然ではないから
訓練と量でどうにかなるから身体に覚えさせてるところです
続けていたドローイング、少し呼吸を持ちはじめました
「この」という限定した一日にフォーカスするパーソナルな一枚に姿を変えました
紙の表面に筆先がのり、タッチが定着するときの繊細な挙動
一筆一筆、色と色、指揮者が音色を束ね音という針に糸を通して空(くう)を縫うようなもの、音と音は子どものような生命力で跳ね、飛び、からまり、離れて、屈託ない表情で自在に戯れます、ひとつひとつに耳をすませ適材適所、ピッチを授ける
色の重なり濁りブレや水の量、重なり・ぼかし…グアッシュの透明感と不透明、グラデーション…
始めたときから想像しなかったものがあらわれました
もうこれは日々のご飯みたいなものですね
食事をきちんと三食食べないこともあれば、すきなものばかり食べることもあるし、バランス欠いて不規則になるし、無性に食べてしまうことも全然食べられなくなることもある、食事に似てるわ!
毎食毎食美味しいご飯をたべるように描いています
「描く」より近く
いまここで感じる空気の層を紙に移し食事するように自然に身体に取り入れて命をつなぎます
キャンバスの箱感
キャンバスに描きながら描くことをしていません
どういうことかというと空気の流れ大気の軽さ/重さ、層の厚さをキャンバスに纏わせています
こんな感覚になったのは最近のこと、最初はベタベタと色を塗って重ねて深みと重みを描いていました、それから形を解体し背景は塗り残しのある状態で留めおき、それから色は空気や大気を含むものに変化し始めました
花の絵を描きながら花を描かなかったとしても、描かれたそのものには全てが含まれているんだと気付きました
というのは全てのものに「花」や「人間」や「風景」や「構造」や「水」「大気」「地形」「火」「大地」「生命」「死」が含まれているとわかったからです
何を描いたとしてもあらゆる生命に宿るものが含まれているという事実
キャンバスにはそれがなんであっても「あらゆるもの」ということを含む画面になっています
ますますぼんやりし、動き続けるものを見るけれど、それがなにかはわかりません
捉えどころない画面、はぐらかされる状態で漂う揺らぎブレ滲み香り
キャンバスは四角い平面上の物質にすぎないけれど、これはいつもわたしに四角い箱を思わせる
四角い箱というのは美術館に代表されるホワイトキューブと捉えています
その空間に何をどのよう展開したら空気と大気を床から天井、箱いっぱいに充満させ視覚的・触感覚に触れるものになるか?と同じことを提案します
キャンバスはパースペクティブな視点と触感覚をフル稼働させ、四角い平面に筆で空気を纏わせます
描くごとに箱感は増し描くごとに何かを思わせる
それが「何であるか」ということはありません
キャンバスの仕事が箱へと展開することを想定しながら描いています
ギルティーな味
某日、ストレスMAXで食欲によってその発散をしていると書きました
このとき食べたものはチキン、2日続けて多量食べました
フライドポテトも一緒に食べたせいだろうか
余分な油が頭皮から浮いてきたような気味の悪い感覚があり背筋がひんやりしました
罪悪感を持ちながら食事をするものではないと改めて実感する
自分が美味しくたべられる量を越えてしまうまでは食事を楽しく食べたいし、食べることへの感謝の気持ちを忘れずにいたい
チキンやフライドポテトはジャンクでギルティ―な味がしてそれが美味しさの秘密なんです
頭皮から、その日摂取した油が浮いたような錯覚に陥ったなんて…年齢のせいか油やギルティ―なものへの耐性は低くなったのかもしれない
「箱感」を読んでくれてありがとうございます
ドローイングを増やして最低限の底上げをしました
これは何かのためにしているわけではありません
食べることと同じ感覚でやっています
食べたり飲んだり話したり読んだりぐらい自然なことです
描くことは本来自分にとても近かったことで自然なことでした、いつの間にか承認欲求を過度に求めたり、見せるためのものになってしまったのには残念です
いま静かな時間を守りながら描くことを中心に据えた生活というものを立て直しています
「毎日書く」を続けていると日々同じように見えて同じ日はないということがくっきり見えます
書くことは自分が自分の中心に戻ってくる感覚があります
こんなにたくさんの感情や気分に左右されメンタルやフィジカルも毎日揺らぎ動ていることに無自覚でした
文字によって解き放たれた「日々の切れ端」というバトンをまた明日につなぎます
昨日の自分から今日の自分へ、今日の自分から明日の自分へバトンを渡して…今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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