個展の前に、わたしのドローイングについて
- Megumi Karasawa
- 8月9日
- 読了時間: 2分

去年の個展「風景の構造」から約1年。あの時は、紙を切り、貼り、そして上から加筆を重ねていくコラージュという手法で、複雑な外の世界を表現していました。断絶したイメージを再構成することで、新たな風景を見え隠れさせる。それが、当時の私の仕事でした。
しかし、今回の個展に向けて、私は全く異なる表現に向き合おうとしています。
コラージュの原点にあった「没入感」
実は、あの複雑なコラージュの表現に至る前、私は墨と鉛筆という極めてシンプルな画材でドローイングをする時期がありました。ただひたすら紙に向かい、細かな線を引き、濃淡をつけ、形を探していく。その時間は、他の何にも邪魔されない、圧倒的な没入感と忘我状態の集中を与えてくれました。
コラージュで様々なイメージを操る面白さとは違う、純粋に「描く」という行為そのものから生まれる喜び。あの時の感覚は、今も色褪せることなく、私の記憶に強く残っています。
夢がくれたメッセージと「通過儀礼」
先日、夢の話をブログに書きました。その夢は、「個展という授業をサボるな!」という、私自身からのメッセージだったのではないかと、今でも考えています。
妙に気になる内容でしたから。
あの夢のお告げに則るなら、今の「怠惰な自分」を打破し、再び創造的な集中を取り戻すために、何を選ぶか。
私は、再びあの「墨と鉛筆」というシンプルな画材に立ち返ってみるのはどうか、とふいに頭によぎりました。
複雑なコラージュから、墨と鉛筆だけのドローイングへ。この一見、逆行するような行為は、私にとって、初心に戻り、自分自身の内面と向き合うための「通過儀礼」なのかもしれません。それは、過去の作品との比較ではなく、ただひたすら集中力を持って描く時間そのものが、今の私にはどうしても必要なのです。
ドローイングが語る、個展の「まなざしと差異」
今回の個展では、この墨と鉛筆によるドローイングが、重要な役割を担います。
単純な画材で描かれるドローイングは、テーマである「まなざしと差異」を、最も純粋で率直な形で表現してくれるはずです。
線と面、濃淡だけで、見えない感情や、社会的なまなざしが持つ力学をどう表現できるか。
個展の出品作品はドローイングだけを予定しているわけではありませんが、このドローイングを幕開けに、作品全体が良い方向に向かうことを
これから、再び「描く」ことに向き合います。
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