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個展の前に、わたしのドローイングについて


現代アーティストMegumi Karasawa作品。墨で描かれた女性の肖像。静かで内面を見つめるような表情。墨の濃淡が繊細な陰影を生み出し、画面全体に静謐な雰囲気が漂っている。
「まなざしと差異」習作ドローイング

去年の個展「風景の構造」から約1年。あの時は、紙を切り、貼り、そして上から加筆を重ねていくコラージュという手法で、複雑な外の世界を表現していました。断絶したイメージを再構成することで、新たな風景を見え隠れさせる。それが、当時の私の仕事でした。

しかし、今回の個展に向けて、私は全く異なる表現に向き合おうとしています。



コラージュの原点にあった「没入感」


実は、あの複雑なコラージュの表現に至る前、私は墨と鉛筆という極めてシンプルな画材でドローイングをする時期がありました。ただひたすら紙に向かい、細かな線を引き、濃淡をつけ、形を探していく。その時間は、他の何にも邪魔されない、圧倒的な没入感忘我状態の集中を与えてくれました。

コラージュで様々なイメージを操る面白さとは違う、純粋に「描く」という行為そのものから生まれる喜び。あの時の感覚は、今も色褪せることなく、私の記憶に強く残っています。



夢がくれたメッセージと「通過儀礼」


先日、夢の話をブログに書きました。その夢は、「個展という授業をサボるな!」という、私自身からのメッセージだったのではないかと、今でも考えています。

妙に気になる内容でしたから。

あの夢のお告げに則るなら、今の「怠惰な自分」を打破し、再び創造的な集中を取り戻すために、何を選ぶか。


私は、再びあの「墨と鉛筆」というシンプルな画材に立ち返ってみるのはどうか、とふいに頭によぎりました。

複雑なコラージュから、墨と鉛筆だけのドローイングへ。この一見、逆行するような行為は、私にとって、初心に戻り、自分自身の内面と向き合うための「通過儀礼」なのかもしれません。それは、過去の作品との比較ではなく、ただひたすら集中力を持って描く時間そのものが、今の私にはどうしても必要なのです。



ドローイングが語る、個展の「まなざしと差異」


今回の個展では、この墨と鉛筆によるドローイングが、重要な役割を担います。

単純な画材で描かれるドローイングは、テーマである「まなざしと差異」を、最も純粋で率直な形で表現してくれるはずです。

線と面、濃淡だけで、見えない感情や、社会的なまなざしが持つ力学をどう表現できるか。


個展の出品作品はドローイングだけを予定しているわけではありませんが、このドローイングを幕開けに、作品全体が良い方向に向かうことを

これから、再び「描く」ことに向き合います。

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