習作は、ほどほどに。
- Megumi Karasawa
- 8月7日
- 読了時間: 2分

個展のテーマ「まなざしと差異」を発表してからというもの、いよいよ本格的に制作の旅が始まりました。
とはいえ、いきなり本番に向かっているわけではなく、今は、墨を使って和紙にドローイングをしています、紙の上で習作を重ねています。今日は、この習作という「旅の始まり」について、少しお話ししたいと思います。
「習作」はほどほどに。キッカケを掴むだけ。
私にとって、この習作は紙と墨に慣れるための時間であると同時に、個展のテーマである「まなざしと差異」を、私の身体を通して思考し、作品の芯を探すための重要なプロセスです。
紙の上でドローイングを重ねていくと、そのプロセス自体に執着して力を使い尽くしてしまう癖が私にはあります。だからこそ、今回はすべてを出し切らないで、ほどほどに留めておいた方がよい。ということを学びました。
なぜなら、私自身の制作上のネックは、このドローイングで満足してしまい、その先に展開できないことにあると自覚しているからです。
今回の展覧会では、ドローイングも出品する予定ですが、それは決して単なる下描きや速描きではないようにしたいと考えています。
習作が語る「差異」と「見えないもの」
習作を重ねる中で、私は、テーマである「まなざしと差異」をどう視覚化するか、その手がかりを探しています。
以前、風景と人体を描く際の「まなざし」の差異についてお話ししました。今回の習作では、この差異をどう表現できるか、試行錯誤を繰り返します。
試行錯誤の軌跡を異なる技法と異なる方法で作品にしたいと思っています。
線が作り出す輪郭、そしてその外側の余白。
線や面で描き出す「カタチ」とその奥に潜む「見えないもの」。
この二つの間にある緊張感こそが、テーマを体現するための鍵だと感じています。ドローイングを通して生まれた一つの線や、偶然の滲みが、最終的に全作品の中で唯一、具象的な表現を担うことになります。
この「習作」という旅路は、目的地にたどり着くまでの道のりであり、同時に、それ自体がアートの一部です。焦らず、この「芯」を探す時間を大切にしながら、本画の質と深みを高めていきたいのです。
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