ホームベース
- Megumi Karasawa
- 1月5日
- 読了時間: 7分
安心できる場所
某日、ホームベースとなる場所はどこか。誰か。に想いを馳せた
幼少期まで遡り自分がこれまで生きてきた時間と場所、人を振り返った
数分間のトリップがメンタルに響いたのだった
✔わたしはホームベースを持っているだろうか
このことを直視するのは素直にしんどい、ホームベースを探して見つからない。という事実に突き当たるのを恐れるからだ
ホームベースという響きから人間的で血の通った感情の交流を連想する
しかし私たち人間同士のコミュニケーション、人との距離はデジタルツールの媒介を通してどこまで理想的な展開ができるだろうか、できていただろうか?
お互いを尊重しながら自分の安全基地を築けるかという問題に対して…
私たちは限定的なリアルのやり取り以外に空間・場所・時間を越えて世界中と交信できるツールを手に入れた、デジタル化は多種多様なコミュニケーションをもたらし円滑にしたように見える
しかし個人的にコミュニケーションアプリ、そのツールを使いこなせているとは全く思わない
一年目よりも二年目、二年目より三年目、年数を重ねる毎にツールに翻弄されている、依存的になっている、言葉だけのやりとりに自分の感情をどう表現したらよいか、どう描写したらよいか、その配慮は年々強くなる、と同じくらい相手の言葉が感情と人格とどのくらい密接なのか隔離しているのかがわからない、年々それを解くのが難しくなってきた
わたしが感じたチャットアプリの難しさ、そのツールは今や人との交流を考える上でまず切り離せない
サークル、グループ、習いごと関係、ママ友、学校…個人同士のやり取り、たくさんの人間が瞬時にたくさんの言葉でたくさんのその人なりの配慮を持って、または持たずに投げかける
その空間を含めてホームベースを自分と他者との間で築くのに必要になる配慮とキーワードは
✔「距離と領域、閾値」になる
ホームベースという発想は某日Youtubeで「2023/6/27【宮台真司】なぜ「幸せ」になれない? 現代社会を考える」を視聴し、宮台真司氏が哲学者マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)のホームベースとバトルフィールドの話を紹介したからだ
それを視聴したあとで哲学者カント(Immanuel Kant,1724年4月22日 - 1804年2月12日)の定言命法のひとつ人間性の定式を思い出したのだった
「君は君の人格の中にも他のどんな人の人格の中にある人間性をいつでも同時に目的として扱いけっしてたんに手段として扱わないようなそのような行為をせよ。」
ーイマヌエル・カント著、御子柴善之訳『道徳形而上学の基礎づけ』人文書院出版、二〇二二年
ブーバーの「汝・YOUとそれ・IT」とカントの「目的と手段」が引っかかったのだ
カントは人間(人格)を「目的それ自体」と表現し、人間は自分自身を実現することを目的としてそのために活動すると説いた、わたし自身を鑑みると自分自身のことを手段として考えていたのだとおもう
手段のために自分がいる。という考えは他者に対してもそのような視点をもって接していたことを意味していたと思い至る
自分も他者も手段や道具として見る…これほど殺伐とした心をもつ者があるだろうか
手段というのは「取り換え可能」であることだ
ブーバーは「人とそれ・IT」がバトルフィールドでの人間の関わり方であると言っている
自分も他者も人間は取り換え可能であると認識する社会に自分が取り込まれて生きている
なぜそのような考え・認識を持って生きることになったのか、いつから…
ホームベースの考えでは取り換え不可能な汝とYOUがいる
このとき汝とYOUは「わたしはわたしだからいい」「あなたがあなただからいい」という価値をもつ
その人がどんな職業・特技・経歴・肩書・学歴・受賞歴・フォロワー数・再生回数・性別・国に関係なく目の前に存在する人間を受け入れるということ、受け入れるというより、喜び助け共有し共振する存在であること、取り換えられない存在として存在していることをホームベースとする
いまこのとき人間は同じ時間を生きている
当たり前だが有限なので必ず死ぬ、そのことは誰にでも平等に訪れる
個人の存在が人間全体の生という存在に混ざり、人間同士が人間のためにホームベースをつくる努力が必要なのだ、どうして必要かといえばわたしたちは「それ・IT」ではなく「汝・YOU」として幸福でありたいからだ
それにはどんな努力が必要なのか、それを不可能にする障害にも目を向ける
それが上記に書いた「距離と領域、閾値」になると考える
またホームベースという言葉の代わりに「安全基地」ということも可能だろう
安全基地とは自分が受け入れられ、愛され、安全基地となる存在を獲得する技術を身に付けることー言い換えると安定した愛着関係や信頼関係を築く技を体得することをだろう。
ー岡田尊司『対人距離がわからないーどうしてあの人はうまくいくのか?』ちくま新書1336、二〇一八年、p.188
特定の他者、または多くの他者に対して「誰でもいいわけではない。」という意識を持つのは重要なのだ、しかし人との距離をどう取るかについては慎重に考える必要がある
どこまで踏み込んでいいのか、どこまで他者の安全や秩序、独立性を脅かさないかを一度立ち止まって鑑みコミュニケーションを考えたい
便利なツールがあるからこそ人との距離は急速に縮まり速攻性がある反面、過度に求めすぎたり、思い込みに過ぎたり、性急な判断をしたり言葉による応酬で破綻してしまうことがある
どれだけ配慮に配慮を重ねられたか、見えない距離をどう測ることができるか
人類が新しいツールを持つにあたって高度な使用条件を満たしているか、測りにかけられた気分になる
ツールが媒介せずとも人との距離や領域、閾値に関する感覚は人それぞれなのだ
生まれた環境や状況が関係することも知った
距離感について自分の認識が人とズレているのか正常なのか、ルーズなのかは人と関係しないとわからない、わからないことを知るためにコミュニケートする、避けていてはずっとわからないままなのだ
わからないままは自分も他者も「取り換え可能」な「IT」として殺伐とした関係を続けることだ
どんなに本を読んでも分析しても人とのやりとりがもたらすものを知ることはない
ホームベースはバトルフィールドで戦うよりもはるかにわたしたちを鍛えボロボロにするだろう
鍛えながら苦しむ、苦しみながら嘆き悲しむ
できるなら殺伐としていた方が合理的で進みやすいと錯覚する
ホームベース・安全基地は言葉が示すような人間的な温かい印象とは異なる現実を含んでいる
それでもそれを持とうと努力することは、自分について、他者について、身近な人間関係から広げて人間はどう生きるか、どうやって生きたいかについて考える最初の一歩なのだ
ホームベースがあるかないかで人の幸福度は変化する
幸福をつくる努力を放棄しないために…
わたしが人間関係で反省していることがある
それで良かったのかとずっと考えている、ひとつの決断の中に複雑なおもいがある
この経験が「よく学びたい」という今年の目標に繋がっている
参考文献
♦上野修 御子柴善之 戸田剛文 大河内泰樹 山本貴光 吉川浩満 斉藤哲也(編)
『哲学史入門Ⅱ デカルトからカント ヘーゲルまで』NHK出版719、二〇二四年
♦岡田尊司『対人距離がわからないーどうしてあの人はうまくいくのか?』筑摩書房、二〇一八年

「ホームベース」を読んでくれてありがとうございます
ここに書いたことはわたし自身のことを振り返り反省し学び前に進むためのものです
これは他者に向けたものでなく自分に向けて書きました、どんな本も著者が実は著者自身に向けて書いてることがほとんどです、自分に対する反省とやるせなさが滲みます
寒い日になりました、関東平野に雪は降っていませんが降りそうなくらいキンとした張り詰めた冷たさを感じます
ブログを通してわたしが書きたいことは絵とは異なるものです
文も絵も見えないものを捉えることは共通しています
今日も読んでくれてありがとうございます、明日も素晴らしい日になりますように
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