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偏執的なこだわりのはなし。

現代アーティストMegumi Karasawa の毎日更新するBlog。「どんな道具にこだわっていますか?」道具に対するこだわりについて綴っています。
カンヴァスに対するこだわり、ありません。

個展の準備が進むにつれ、「どんな道具にこだわっていますか?」と聞かれる機会が増えました。正直に言って、私には特定の「こだわり」という道具がありません。むしろ、そこにコンプレックスを抱いているところです。


「夏休みの自由課題」ですか?


特別な筆や、希少な絵具、何十年も使い込んだパレット。


アーティストには、自分の創作を支える「相棒」のような道具が必ずあると、漠然と思っていました。

しかし、私の制作風景は、まるで夏休みの自由課題に取り組む学生のようです。

数本の筆と、黒と白を基調とした絵具、そして既に貼られたカンヴァス。


この「こだわり」のなさに対して、自分は作家として未熟なのではないか、という情けなさを感じていました。



「こだわり」の正体


このコンプレックスを掘り下げていくと、ある偏執的な「こだわり」に気づきました。


それは、幼少期から学生時代にかけて使っていた、身近で馴染みのある画材への執着です。


新しい素材や画材を試す機会を、私自身が拒んでいる。

いつまでも同じ状態、同じ精神に留まっているかのような、ある種の停滞感に繋がっていました。


しかし、この「こだわりのなさ」には、物理的な理由も隠されていました。

アトリエが狭く、カンヴァスを木枠に貼るスペースがない。限られた時間で集中して制作するためには、既に貼られたカンヴァスを使う方が効率的です。


この気づきから、私の本当の「こだわり」は、道具そのものにあるのではなく、「描くこと」という行為そのものにあるのだと、改めました。


私は、道具のブランドや希少性に興味を持つよりも、描かれた線と動き、描く瞬間の情動と、手の動きと絵具が作り出すマチエールを重要視しています。画面全体が情動とリズム、そして気品を帯びるかどうかに夢中になります。



一歩踏み出すということ


そして、その状態から一歩踏み出すには、画面全体のために物理的な側面に気を配るということでした。


私の作品には、華やかでドラマチックな物語を持つ道具は登場しません。しかし、そこに描かれた筆跡の一つひとつには、無名の筆と絵具で描いたという偏執的なこだわりが宿っています。


私の作品が「夏休みの自由課題」から脱するためには、道具や画材、技法といった物理的な要素と、作品の背景、ストーリー、思想、歴史的文脈を結びつけることが不可欠だと感じています。


この偏執的なこだわりと向き合い、自ら一歩を踏み出すことで、作家としての新たな挑戦が始まります。生みだす作品、線、色、カタチに対して最大限の効果をもたらすために、道具や画材、技術や技法を高める、ということになります。

そしてわたしが選んだ道具や画材、技術や技法に胸を張れるように、なっていたいのです。

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