作業進捗5:言葉が降りてきたカンヴァスと言葉に縛られるカンヴァス
- Megumi Karasawa
- 8月23日
- 読了時間: 3分

個展に向けての制作は続いています。今日は、迷いと焦り、そして袋小路に陥った筆とメンタルが一気に花開いたような、不思議な体験についてお話ししたいと思います。
言葉が降りてくる瞬間
今、私は個展のメインスペースを飾る作品を制作しています。
無理にでも集中しようとする気持ちを持ちながら筆を動かしていると、ある時、その作品のタイトルがふと心に浮かびました。それは、まるで天から降ってきたかのような、自然な言葉でした。
言葉が作品を呼ぶ瞬間。
それは、私にとって創作における最も神秘的な体験の一つです。この言葉が、私の中にあった漠然とした思いや葛藤を一つの形にまとめ、創作の大きな突破口となりました。
コトバというのは探しても探しても見つからない時のほうが大半ですが、なぜかこの作品にはそういうことが起きませんでした。
タイトルの縛り、そして筆が固まる
その一方で、過去の作品に加筆する作業は、全く異なるものでした。
以前の作品には、すでにタイトルがついています。そのタイトルに縛られ、筆が固まってしまいました。言葉が先にあり、それに合わせて絵を描こうとする。それは、作品が持つ本来のエネルギーを抑え込んでしまうようでした。
そして、もう失われてしまった最初の衝動的な意欲の後で、言葉だけが宙に舞い、その残滓すら捉えられずにいました。
「消去」と「沈黙」がもたらすもの
葛藤の末、私はそのキャンバスを、一度洗い流してしまいました。
現代美術における「消去」という行為に通じます。ロバート・ラウシェンバーグがウィレム・デ・クーニングのドローイングを消し去ったように、「描く」という行為と同じくらい「消す」という行為もまた、創造的であることを示唆しています。
既存の言葉や意味を一度リセットし、まっさらな状態から、もう一度作品と向き合うための選択でした。白に戻ったキャンバスは、私にとって、もう一度「言葉が含有するエッセンス」を見極めるための再出発です。
それは、ジョン・ケージの音楽が「沈黙」の中に新しい意味を見出したように、既存のものから別の可能性を探る試みでもあります。
創作の二つの側面
創作には二つの側面があります。
一つは、心の内側から湧き上がる衝動に突き動かされる「言葉が降りてくる」瞬間。
そしてもう一つは、既存の概念や言葉と対峙し、それを「白に戻す」残酷さと開き直りの瞬間。
どちらも私にとって、作品に向かう大切なプロセスです。明日以降もこの二つの側面と向き合いながら、個展に向けて忍耐と我慢の時間が続きます。
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