恵比寿に二人展をみに行く
某日、片道1時間半かけて都内に出てた
「版画二人展」をみに行く、作家は柿崎かずみさんと溝上幾久子さん
友人の版画作品をみに行くのはもう3年振りになるだろうか
今回は場所と日時が合ったので久しぶりに伺うことができたのだった
紙版画と水性モノタイプを組み合わせた作品を制作していて、額装された作品が15点はあったとおもう、展覧会名が「We are like books-ある架空の本屋にて-」ということでご自身で物語をつくり、その文章に合わせた版画作品を制作していました、キャプションには物語の一部が記載されています、絵を説明するものではなく独立したテキストとしてあり作品は単独でも雰囲気がありました
テキストのイメージと作品が融合する展開が面白い企画でした
二人の作家に共通する通底する「本が好き」という想いは不思議とお二人の世界観を繋ぎ展覧会場に違和なく充満していました
作品の雰囲気も軽やかで等身大で気負いがなくこちらにすーぅっと入ってくる気持ち良さと幻のような物語の一部に入り込んだかのような感覚になりました、いま思い出してもすごく心がふわっと自由になります
友人が作った来年のカレンダーを購入しました、リソグラフで作ったそう
「リソグラフ」ってリトグラフとは違うのですか?と聞きなれない技法が出てきたので伺うと
♦リソグラフ(RISOGRAPH)は、理想科学工業が1980年(昭和55年)から販売している事務用のシルクスクリーン印刷機
だそうです
帰宅して調べてみるとこれは面白そう!
版画や印刷物・紙モノに精通したプロである彼女はいろんな技法を試して作品にしています
会うと丁寧に教えてくれるので嬉しく刺激を受けます
今年最後に友人の展覧会に行ってよかったな…ご本人にも会えて元気をもらえました
来年の12月、わたしもどこか小さな会場で小品展を開催しカレンダーを制作して販売したいと心に誓ったのでした
それにしても恵比寿はXmas仕様で赤い飾りつけがキラキラしていたし多くの人で賑わっていましたね恵比寿には二つの美術館があります、東京都写真美術館、山種美術館(日本美術専門)です
一度訪れてみたい都内の美術館です
無知
電車に乗っている時間が長いので車内で何もせずにいられずたまらず読書
読み始めたら止まらなくなり一冊読み終え始めのページに戻る程でした
この本をもっと前に読んでいたら過去の結果は違ったのだろうか…いや今がベストタイミングだっただろう…そういう本てありますよね、自分がそのとき選んだのがベストタイミングだったと実感する
「芸術家は無知ではなれませんよ」
ある本で書かれていました
様々な分野に広く浅く精通していることを求められるのです、というかアメーバのように縦横無尽に興味の幅を広げていくと分野をまたいでいくことになります
どんな仕事でも知見が広い方がいいのは変わらないとしても、芸術は人間そのものにダイレクトに向き合います
さらに付け加えると「芸術家は自分自身を知らないとなれませんよ」ということです
ときに精神分析を用いながら偽りない自分自身を知り理解してそこから学ぶことをせずにいられません
自分を隠そうとしても偽ろうとしても、取り繕うとしても、矛盾した自己、齟齬ある自己と向き合わざるを得なくなります、自分のしている行為のひとつひとつが自分の人生や思考や思想の反映であるとは限らないからです、それを分析して丁寧に見ていけば、多様な分野の知見を持って向きあわないとならなくなる、複雑で一筋縄ではいかない「自己」をどう取り扱うかという問題に直面します
自分はどんな人物でどんな内面を持ちどんな精神疾患を抱えているのか。
ということにも触れざるを得なくなります、それに直面せざるを得ないのが「芸術」という分野の側面だとわたしは考えます
そういう意味で芸術ほど人間そのものにフォーカスし、詳らかにする分野はないのかもしれません
そこまでいかなくとも芸術は人間の精神そのものを暴く暴力的で破壊的で残酷な部分を持ち合わせています、それを自分自身に向けることなしに人に問うことは難しいのではないでしょうか
自分自身を俎上に乗せて闇も光も同じ温度で見、他者に依存せず、自分で発見し自分で気付く
それは痛みを伴うことですができないことではありません
そう信じています
「無知」を読んでくれてありがとうございます
四年以上前?に訪れた恵比寿の街
相変わらず人が多く駅ビルの商業施設は賑やかできらびやか・おしゃれで高級で洗練されていました、そこにあるだけでどれもが一段格上げされたように感じるマジック
実際は見せかたや宣伝のしかたの巧みさにあるだけなのですが…
実は友人の作品を見に行くことが苦手でした
自分に劣等感を感じてしまうからです、羨望もありました
展覧会を開けるのが羨ましいという気持ちと人々に認められ求められているんだろうなという過度の思い込みがありました
見に行くときは勇気が必要でした
それを悟られないようにポーカーフェイスを装わなくてはならないので疲れました
そういう後ろめたい気持ちで作品を見に行っていましたが、それは自分が展覧会を開けないことへの不満と行動できない自分への悔しさが原因でした
今年はそんな自分の行動範囲を広げた年になりました
やっと友人たちに劣等感や羨望という感情を抜きにしてフラットな状態で彼女たちの作品を観に行けました
「うそでしょ?こんなことで?」
と思うような小さなことを他者と背比べしてしまう自分の小ささは惨めでした
自分のウィークを知る・理解する・分析する・学ぶという一連の作業はどんな自分も認めることからはじまります
毎日書きながら毎日という日はなくて一日一日が特別であることを知ってから、どんな感情も優劣はなく、いいもわるいもないと知りました
ジャッジすることはないし、どれも同じでよくもわるくもあるし、よくもわるくもないのです
どの感情も必要なのでした
どこにフォーカスするかで同じものでも違ったみかたができます
一日フラフラと彷徨い疲労困憊した心を自分の中心に戻し一日をリセットし明日へバトンをつなぎます
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい一日になりますように
Comments