感謝
某日、体の不調から休憩を多くとりながら一日過ごす
毎日のタイムテーブルは乱れているけれど仕方ない、体のメンテナンスを先決します
不調のせいか物事の捉え方ひとつにしてもマイナスに考えてしまい自分で自分を苦しめている
誰もそんなことを思っていないし、自分の良くない癖が出ていると分かっているのにその思考からなかなか抜けられなかった
どんなことも光の当て方次第でプラスにもマイナスにも考えられるというのに、だ
この場合プラスの面はなんだろう…時間を置いて新しい思考回路を模索している、これだけでも充分回復に向かった証拠、数時間前のマイナス思考はバカバカしいものにおもえた、自分らしくない、自分ではないみたいだった
ドローイングをしながら何を描いているか分からない日になった
わからないまま一定枚数を描くことだけに集中した
曖昧さを残しながらも曖昧さそのものを表しているわけでなく、それを見ても感情が揺れない
そんな日もある
だから毎日描いている
ドローイングをしながら自分の特性を心理学や精神科学の面からもアプローチしてみようとおもった
けれど、だんだんと難しいことから離れて、表面にあらわれるものしか考えられなくなった
満足いく出来にはならなかったがこの時間があってよかったと感謝した
絵を描く自分に感謝をした
感謝2
某日、アップルパイをつくる料理番組をみてアップルパイを作ろうとおもう
週末に冷凍パイシートを買ってアップルパイを焼こう
家族と一緒につくれば喜ぶだろう、パイのかたちはリボンにしたら可愛いだろうな
テレビでやってたのと同じ形
毎年自治会からもらう大きなりんごを煮たら美味しいアップルパイになるだろう…
お菓子作りは考えただけで幸せな気分になる
今週は外出する日が多くてタイムテーブルは毎日書き換えてその都度修正した、体の不調もあって週の後半は休息が必要で、その甲斐あってか夕方から夜にかけて回復しブログやドローイングの日課は続けられた、昨日のバトンを明日につなぐというシンプルなタスクはわたしを病気で寝込ませない運動のようなものとなっている、それがあるだけで目を覚まし起き上がる動機になっている
自分に課すタスクではなく自分を生かす仕事になっている
このことに気付かせてくれた本とその作家に感謝しています
本というのは面白い、誰かに必ず届くもの
本になれば見知らぬ誰かにその人が求めているものを手渡すことができる、文章のもつ影響力はまだまだ健在だ、活字離れとは無縁の本がもたらす影響が見知らぬ人の魂に共鳴します
12月は一日一日が早い、気を抜くとすぐに年末になってしまう…後悔しないように明日へまたバトンをつなぎます
「感謝」を読んでくれてありがとうございます
考えかたひとつで気持ちは変えられる
いいこともそうでないことも気持ちを切り替えられずにいます
切り替えることが苦手でどうしたらできるものかと探している
自分の考え方の癖がありこれは幼少時代の経験が元になっていることがある
だから簡単には変えられないだろうとわかっている
全部を変えられなくても少しづつ良い方へ導いていけばいいと気長に付き合うことにする
この一週間は以前より自分のことを深堀りできたようだ
「毎日書く」ことで自分に向きあっているからだろう
書きながらいいこともわるいこともジャッジせず、「そのままをみる。」ということを学んでいるのだ
わたしはすぐに0か100かという極論的な発想になってしまいがちだけれど、近づいてみると「曖昧さ」というものがその間に大きなスペースを占めていることがわかってきた
「曖昧さ」というのは決してわるいことでないのに曖昧という中間が許せない、という自分の好みと気質が影響を及ぼすのだ
51でも52でも、49でも48でも、どの数字も微妙に異なる段階を持っている
これらが持つ小さな段階の大きな違いを掬い上げると、極端な発想がいかに大雑把で単純で平均的で面白味の欠ける一般的なものかに気付くだろう
わたしはこの微妙な違いを見落としていたし、極端な発想を「強さ」や「潔さ」と感じていたのだ
強さや潔さの解釈も広げてみれば、弱さや曖昧さとほとんど変わらないばかりかその概念も揺らぐのだ名付けられない強弱が無数に散らばっている空間をイメージする
毎日書くことで見えてきたのは以上のような見方で、この見方は以前には持てなかったことです
大きくて見栄えがして立派なものだけが目立つというだけで、わたしのものの見方で言えば、大小の区別は取り払われどんなサイズもどんな感情もただそこに在る現象というフラットな状態になるのです
わたしは無数の名付けられないものに気付き、探して、特別な日という毎日を発見します
一週間おつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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