生活の細部
某日、ほとんど何もできなかった
こんな日は人生という有限性の枠組みの中でどんな役割があるというのだろう
何もできない・惰眠を貪るだけ。という一日
人生は毎日の積み重ねで成り立っている
しかし毎日というものは実は幻想で「毎日」という日は一日もなく特別な日が群れをなし積み重っているのだった(という認識に変わった)
だから今日は昨日から切断されて明日からも孤立している
そこでわたしは切断と孤立をつなぐように「毎日書き、毎日描く」ことを始めた
「何もできない日」という記述をするために存在した日。ということをここに書く
人生の有限性の枠組みからするとそういう存在になる
毎日書くのは記録を目的としているからで、記録を目的にすると内容の有無を精査するのではなく、どんな日であってもその日を記すことが目的を達成することになる
記録は一日も欠けないピースをつくり、セルを空白にしないことが求められる
空白をつくらないというシンプルなことでいい
その日がダメダメでも上々でも幸せでも最悪でも何もなくても構わない、内容をジャッジすることではない
しかし本当に「何もできない日」というのは存在するのだろうか?
よくよく見れば、一通り生活に必要な最低限はしたのだから何もできなかったことにはならない
取るに足らないことだと思わなければカコイチ美味しいポップコーンがつくれた日だってあるのだ
いつも火加減で失敗し焦げてしまうポップコーンを白くて美しい状態に作れて、さらにそれをキャラメルをコーティングする時も工夫して焦がさずに美味しいキャラメルポップコーンがつくれたことを見落とさなければ何もできない日は存在しない
生活にはそういった細部が宿っていて、これをどう受け止めるか自分次第
できなかったことでなくできたことに目を向ける。それが苦手…というかやっぱり大きくて立派で見栄えがいいものや、耳障りのいい文句や聞こえのいい成果を求める気持ちがあると「何もできない日」をつくってしまう、自分に失望するかもしれない
生活の事細かに不必要なジャッジを持ち込まなければ小さな達成と小さな発見に気付けるというのに…
観に行きたい展覧会
日中の気温が急激に下がり晴れていても耳が切れそうなくらい冷たい空気を感じるこの頃
12月に入ってからどうもコンディションが違う、先月とは違う、この感じは何だろう
同じ暮らしをしていても人間の中で何かしらが動いて変化し動き続けるものがある、恒久的な行動や思想というものはない、先月のキャンバスがほとんど色あせて見えるから不思議だ
自分のしたことの意味がほとんど理解できないという違和を持ちながらそれを眺める
ほんとうに自分が描いたものなのだろうか
そんなことすらおもう…確かに自分が描いたもので自分の筆跡を認めることができるし自分しか描けないものだ明らかに…しかしその時と今といる場所が違う、だからかこの絵の世界とわたしの間に淵がある…という不思議さを抱えてぼんやりした気分が晴れないので気分をリフレッシュしに観たいとおもう展覧会に出掛けてきます
この作家はフランスに住んでいる日本人で「具体美術」の第二世代の俊英として名を馳せた人物です
国内初の包括的展覧会、空前絶後という文言で紹介されています、特に興味のあるのは未発表のスケッチブックやドローイングや制作日誌
生で作品を観たいと思っていた作家なので楽しみです
新宿オペラシティまでは気分が憂ウツですが観に行ってきます
「切断と孤立をつなぐ」を読んでくれてありがとうございます
一日一日が違うのは一日一日異なる日だから。というシンプルなことですがそれをほとんど無視して生活しています
昨日から切り離され明日からも孤立している
今という時間の有限性の中に生きている、比較対象もない状態
キャンバスについて書いたけれど、もう少し書くと先月描いたキャンバスに顕れているものが「その時のパーソナルな経験や記憶に基づいたものである」という姿勢でいいのかしら…ということに疑問をもちました
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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