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執筆者の写真Megumi Karasawa

城壁から市井へ

城壁2


某日、哲学入門書を読みながら「城壁」の投稿を再考する


実生活で「これだ」とおもう個人的な発見や気付きが学問の学びと結びつくことがある

個人的な経験が学問に反映する瞬間

生活を疎かにしていたら結びつかないだろうし学問の世界に入り浸っても実感できないことがある、経験や体験が城壁に囲まれた「学問」という城に唯一入っていけるパスポートなのです

学問が城壁を越えて市井にふわふわと漂っているのかもしれない

わたしたちの生活に入り込み、わたちたちがよりよく生きることを見守り叱咤し指標を与えている、そのくらい学問と実生活は本来近い距離にある、柱廊に人が集まっていた光景をイメージする

ー「城壁」ローマ時代から 2024年12月19日より


この文章を書いたときわたしは哲学にある印象や偏見を持っていたことを告白したい

ブログでも書いたように城壁に囲まれた「学問」(哲学以外の分野も)はわたしたちから切り離された高尚なもの、難解なもの、エリートしか理解できない専門的なものとして捉えていた

一般的な教養以上をもつ人たちが議論を交わす近づけないハードな世界だと…

学問のハードルを高くして自分とは関係ないもの、歯が立たないものというイメージがあった

自頭の良い人や勉強ができるエリートが踏み込む場所という認識は「思い込み」によるところが大きい

実際に哲学書は読み進められない、単語の意味が分からずつまづく、抽象的すぎて理解できないという側面がある、難しいものに時間をかけるのは退屈に思え自分には無理。と早々に諦めたのです

がしかしそれで良し。とすることを説く人がいることを知る

難しいと思っても読み進め、わからなくても読み続ける

「わからない」ことを楽しめという、ああそうか楽しみもあったのか…

理解できる・できないということでなく、新しい知に出会う・新しい異を知る・新しい謎を見出せないだろうか、プラス古い知を考え直す、古い異に接する、古い謎に再チャレンジするということをベースにしたら本の読み方は違ってくる

と書きながらこれって「現代アート」のわからなさと似ているのではないか?なんてちょっと脱線


ここから本題

哲学は実生活に役に立たないものと考えるのは「思い込み」による学問コンプレックスも大きい…こう考えるのはどうだろう…学問はわたしたちの生活に入り込み市井にふわふわと漂っている。とするなら日常の騒乱と形而上学的な問題は切り離せないことになる、日常の些細なことは哲学体験になるし、繋がっているという思考を身に付けるように練習したい

哲学的体験を得るのは可能、その視点で日常を観察する練習を積もう

ならば学問コンプレックスは必要ないし「理解できない」ことを楽しむと納得すれば自分の無学は学を積むいいノートになる、どんな状態でも始められる

完全な理解が目的でなく考え方を知ることが優先される

ローマ時代から現代まで続く人間の叡智に触れる機会、自分も加われたら特別なことをしてるみたいで気分が良い…自分が抱える問題に対してどういった考えを持てるか、解釈するか=どうこたえていけるだろうか、考え方を学問から学び自分を自分で導くために学ぶ・知る・比較し検討する


個人的な真理の追究と言えば身勝手な印象を受けるかもしれないが、個人がどう生きるか、自分の問いに学問があり知は開かれている、膨大なヒントや価値でわたしやあなたの思考や思索を広げて深めるためにある、知を共有し知は拡散する

学問が机上の空論ではなく個人の欲求(よりよく生きたい、幸せや平和を求めること)や問題解決に対し指針を示しながら自分を理解するころから始めよと望んでいるのではなかろうか

市井をふわふわと漂う学問はいつだってわたしたちの傍にある


学問はいつだってわたしたちの傍にある
学問はいつだってわたしたちの傍にある

「城壁から市井へ」を読んでくれてありがとうございます


わたしは芸術でどう立ち廻ったらいいかわからなくなったとき、他の分野に置き換えて考えことがある

例えば文学、例えば哲学、例えば数学。というように芸術を理解するとき違う言葉・異なる形式を想像しわかりやすく考える、今回初心者向けの哲学入門書を読みながらこれは「芸術」でいったらどんなことになるだろう?と想像しながら自分の制作を客観的に見ようとした

自分が芸術に携わるような仕事をしていながらも、芸術という分野に苦手意識を持っている

キャンバスに絵を描いたり彫刻したり作品を作るだけを指すのではない芸術、芸術のわからなさ

芸術に付きまとうイメージや思い込みに捉われている、それでもわたしは絵を描くのをやめられない

わたしにとって芸術は年々気難しい存在になっている、絵を描く理由を考えたら途方に暮れる

それは捉えどころがなくどう捉えたらいいかほとんど理解できないからだ

上手くできるから?つくるのが得意だから?それをせずにいられないから?すきだから?当てはまるような当てはまらないような言葉に置き換えられない気持ちがあってこの辺りのことをうまく書き表せない、描くには理由が必要?理由がないと描けない?

こうして毎日書きながら絵を毎日描く理由を考えてしまう、ただ描く。それで充分なのではないか

今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように







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