ローマ時代から
某日、ブログを書く時間を繰り上げてみた
一日の終わりに書いていたものを急に変えることもないか?
夜の儀式・ルーティン化していたのだから…書きたいことがあるときは日中でも夜でもここに向かおう
12月に入ってぼんやりした時間と眠気に襲われている、一日一日生産性のないことに時間を費やして、時間を弄んでいるような日を過ごしている、生産性に関しては以前のブログに書いたけれど視覚化できる量や物体として現れないものに達成感が持てずにいる
週末の予定は埋まっていて一週間が忙しい
一年最後の月は独特の焦燥感と慌ただしさと整理の月になる
2024年をひとまとめに俯瞰したとき一言で言うならばどんな年だったかなと、ふと頭をよぎった
「自分についていいところもわるいところも含めて理解を深める年」かな
もっとシンプルに言えば「自分を理解する年」というこになる
いいところはわるいところを含んでいるし一概に判断できないけれど、自分のウィークポイントや特質や自他境界について読み知ると、自分に対する理解が薄かったことを痛感した
自他境界という境界線についてはローマ時代のストア派の哲学者エピクテトス(Επίκτητος, Epiktētos、50年ごろ - 135年ごろ)が「権内/権外」という言葉で表している
権内は自分でコントロールできるもの、権外は自分でコントロールできないもののこと
二つを区別してどうにもできないことに気を病むのはやめて、どうにかできるものに注力せよ。と説いている
精神分析では「自分の領域(パーソナルスペース」という言葉で他者との距離をバランスよく取ることを説いている
上記はわたしが「透明な境界線を引く」という言葉で表現したものだ
境界線は揺れ動いていて比率は変動する、しかし比率そのものを決める基準はひとつである
エピクテトスの「権内/権外」だ
ここで自分がコントロールできるものとはなんだろうか
それも説明している、「心像を正しく使用する」ということになる
初心者に向けた哲学入門書を読むと理解が進みます、入門書は誰が読んでも一通り理解できるようわかりやすく書かれているのでおススメです、一行が短く端的に書いてあるので読みやすく難解さから断念するということは起こらないように工夫してある
わたしたちが生きる21世紀とエピクテトスの生きた1世紀~2世紀はまるで次元の違う世界であるのに人間は不変的な悩みや不安を抱えていて(特に人間関係)普遍的な心の平安と幸せを感じる状態を求めて他者に問うて方向を探し続けている、当時の問いを現代の言葉に変換すると人間の根本にあるものが見えてくる
問いに対するこたえはシンプルであっけなく内容を理解するためにまた誰かに問わなくてはならないような難しさを含んでいる
東洋の教えもあっけないくらいシンプルで、同じようなこたえに見えながら異なる色をしている
異なる色をした真理が西洋・東洋にある
実生活で「これだ」とおもう個人的な発見や気付きが学問の学びと結びつくことがある
個人的な経験が学問に反映する瞬間
生活を疎かにしていたら結びつかないだろうし学問の世界に入り浸っても実感できないことがある、経験や体験が城壁に囲まれた「学問」という城に唯一入っていけるパスポートなのです
学問が城壁を越えて市井にふわふわと漂っているのかもしれない
わたしたちの生活に入り込み、わたちたちがよりよく生きることを見守り叱咤し指標を与えている、そのくらい学問と実生活は本来近い距離にある、柱廊に人が集まっていた光景をイメージする
人が望むもの…悩みや不安から解放されて心の平安と幸せだと感じる状態とはどんなことだろう
わたしは自分の心像を正しく使用しているだろうか
自分を理解することを放棄して依存するように生きていないだろうか
読書、知的旅行の負債
読書が知的旅行のようでたのしくなる、物理的な移動はないけれど旅行している気分だ
脳内で記憶と記憶が新しく結びついて新しい道をみつける、そこから他者への理解へとまた移動する
次元を超えて自由に行き来する回路であり空間だ
ー「採集2」2024年12月18日
こう書いたのは間違いではないのですが、書き忘れたことを付け加えたい
「物理的な移動がない分、わたしの体は肥えていく」
この一文が大事!知的旅行は脳を使うのでエネルギーの消耗が激しい→補給するためにたくさん食べる→たくさんエネルギーを使う→食べたものがそのまま体に付く→体が重くなる
身体を動かして頭の中にスペースを作ることって読書にも必要なんだな
身体運動を入れないと旅行するのも動きづらい…
「城壁を越えて」を読んでくれてありがとうございます
わたしが毎日ブログを更新するのは元気でいることを伝えたいからです、書いたものを読んでくれた人が「明日もいい日になるといいな」と思ってくれるとうれしいです
自分自身も明日どんなことが起きるのか知らないからこそ新しい一日が楽しみでもあるし、明日起きることに過度な期待を持たずにいられます
一日一日がどんな色をしていてどんな流れなのかを知れば、大きな刺激や大きな感動というものはほとんどない。ということがわかります
あるのは気付かないくらいの刺激に影響されて心が動揺したり些細なことで気持ちが切り替えられた。という地味なことで作られています
どんな日であっても書くことができていれば、元気であるというサインです
元気が出ない日も体調が良くない日もあって、それが毎日を生きるということです
物事に白黒つけたり二者択一する潔い決定から離れて自分がそれをどう見たかどう書くかというだけで十分です、ジャッジしないという基準が負担を軽くします
今日もおつかれさまでした、明日も素晴らしい日になりますように
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